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連載・特集

緑地帯 樋口明雄 東京卒業 <1>

 セピア色にあせた古い全国紙の1ページが手元にある。1994年10月16日の朝刊に載った山口県による一面広告である。錦帯橋の手前、スーツの上着を肩掛けして持つ青年の後ろ姿の写真の横に「東京卒業」と大きくタイトルが書かれ、メッセージ募集とあった。

 東京には人が根を張る土がない。刺激はあるけど、うるおいがない。仕事はあるけど、ゆとりがない。ストレスはあるけど、自分がない―だから故郷に帰ってほしいというテーマである。

 60年、岩国市に生まれた私は、大学入学で上京、社会に出た。作家になってからも都会暮らしだった。

 その間、故郷は変わった。山が切り崩されて道路になり、田畑が埋め立てられて住宅地が広がっていく。身勝手かもしれないが、故郷はいつまでも古き良き思い出の場所であってほしかった。

 「受け入れるべき器をないがしろにして、何が東京卒業だ」と憤り、抗議の手紙を県に送ったのはいいが、「あなたのメッセージは当選を逃されました」という県からの回答が1枚の用紙で送られてきて苦笑いをした。

 あれから35年がたち、私は山梨に移住していた。まさしく東京卒業―しかし、岩国には戻りたくなかった。変わりゆく思い出の地とは縁を切りたかった。ところが皮肉なことに、そののち、私はより深く故郷と結びつくことになる。それは「風に吹かれて」というタイトルの自伝的作品がもたらした奇縁であった。(ひぐち・あきお 小説家=山梨県北杜市)

(2019年5月14日朝刊掲載)

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