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連載・特集

緑地帯 樋口明雄 東京卒業 <2>

 その年の暮れ近く、突然、山口県の広報担当だという若い女性から電話がかかってきた。

 「あなたからのお手紙がどうしても気になりました」と、彼女はいった。再開発によって自然がはぎ取られ、過去の記憶にある土地が変わり果てていくことへの嘆き―それは故郷を捨てた人の一方的な感情論じゃないんですか?

 「雨上がりの道は泥跳ねで服が汚れます。私は道路は舗装されたほうがいいと思います。それって悪いことなんでしょうか?」

 彼女の意見はまっとうだし、当然の希求だった。それをわかっていながら、当時の私は若さゆえか、意固地になって反論を投げた。

 「来春、都会と故郷をテーマにした討論番組がローカル局で予定されています。『東京卒業』の企画もそこで取り上げられるようですし、いかがでしょうか、こちらから推薦をさせていただきますので、あなたもそこに出られては?」

 望むところですと私は返事をし、放送局の番組担当者からの連絡を待つことになった。

 なぜそこまでして自我を貫こうとしたのだろうか。私にとって、故郷の思い出はなにものにも代えがたい宝だった。子供の頃から小説家になるのが夢だった。その願いをかなえてたどった人生は、まさに過去を基礎として建った一軒の家のように思えた。だから私はその古き良き思い出を守り抜く権利があると思っていた。

 しかしテレビ番組への出演依頼はとうとう来なかった。翌年の1月17日、阪神・淡路大震災が発生したのである。番組の企画は無期延期になってしまったそうだ。(小説家=山梨県北杜市)

(2019年5月15日朝刊掲載)

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