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連載・特集

緑地帯 樋口明雄 東京卒業 <8>

 中学時代の夏休み。私は仲間と自転車に乗り、岩国から熊毛郡の上関までキャンプに行った。  自転車さえあれば、世界の果てまで行けると思っていた。それなのに、やはり50キロ以上も彼方にあった上関はさすがに遠かった。しかしそのつらさを忘れるほど、1泊2日のキャンプは楽しく、忘れられぬ思い出となった。

 今、その上関が原発立地問題で大きく揺れている。私たちがキャンプをしたあの美しい海が、哀しみに満ちた海になろうとしている。

 子供の頃、よく釣りをしていた川の対岸には米軍基地があった。あそこには核兵器があると岩国市民はうわさをしていた。

 2010年、駐日大使特別補佐官を務めたパッカード氏が、ベトナム戦争当時、国内本州に核が持ち込まれたことを認めた。佐藤栄作が打ち出した非核三原則は絵に描いた餅にすぎなかったのだ。

 母が若い頃に見た広島の原爆のきのこ雲。米軍基地に隠されていたかもしれない核兵器。上関の原発問題。私の人生には、核や原子力問題が運命的につきまとっていた。

 山口県が打ち出した「東京卒業」のキャンペーンに私は書簡で抗議をし、それを受けて電話をしてきた県職員の女性は、便利になることが害悪ではないといった。しかしながら我々には責任があるはずだ。子孫に今の便利さの代償を押し付けず、未来を託すという大きな義務。そのことを、私は自伝的小説を書きながら、過去のいろいろな思い出に教えられた気がする。(小説家=山梨県北杜市)=おわり

(2019年5月23日朝刊掲載)

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