原爆文学「記憶遺産に」 広島の市民団体 日記など5点で再挑戦 国内審査 市と申請へ
21年9月15日
原爆詩人の峠三吉らが被爆直後につづった日記などの直筆資料5点を、市民団体「広島文学資料保全の会」(土屋時子代表)が国連教育科学文化機関(ユネスコ)の「世界の記憶」(世界記憶遺産)登録を目指して国内申請することが14日、分かった。2015年に続く挑戦で、前回と同様、広島市と共同申請する方向で調整している。(桑島美帆)
5点の原爆文学資料は、「ちちをかえせ ははをかえせ」で知られる峠の「原爆詩集」最終草稿と、原爆被災時の日記、メモ▽詩人栗原貞子が「生ましめんかな」を書いた創作ノート▽作家原民喜が被爆直後の惨状を記した手帳。いずれも遺族や関係機関が原爆資料館に寄託、寄贈している。
このうち峠の原爆被災時の日記とメモは、今回新たに追加。原爆が投下された1945年8月6日の日記には「焼夷弾(しょういだん)だと叫び上衣をひっかけたとたん猛然と家震動し窓硝子(ガラス)微塵(みじん)に飛び―」と生々しく記す。
ユネスコが「世界の記憶」の新規審査を行うのは4年ぶり。従来は自治体や民間団体が直接申請できたが、今年4月から各国政府を通じた申請が前提となった。そのため、ユネスコでの本審査に進むには、国内審査が第一関門となる。
文部科学省は8月に国内候補の公募を開始した。来月15日に締め切り、有識者でつくる審査委員会が最大2件を選んで11月に結果を公表。日本政府がユネスコに申請する。
選考のハードルは高いとみられるが、土屋代表(73)は「被爆作家が命がけで残した記録は、後世に引き継ぐべき人類史的な資料。核兵器禁止条約が発効した今、原爆の惨禍を伝える文学資料が核兵器廃絶へ果たす役割は大きい」と再挑戦の意義を強調する。同会は国内外で賛同人を募っており、カナダ在住の被爆者サーロー節子さん(89)や平岡敬元広島市長(93)たち約130人が名を連ねている。
世界の記憶
世界的に重要な文書、絵画、フィルムなどの保存やアクセス促進を目的に、国連教育科学文化機関(ユネスコ)が1992年に始めた事業。95年に登録制度を開始した。日本からは「山本作兵衛炭坑記録画・記録文書」が2011年に初登録され、現在7件。中国が申請した南京大虐殺の関連資料が15年に登録されたことをきっかけに、反発した日本政府が制度改革を要求。17年を最後に新規審査が凍結されていた。今年4月、ユネスコは新制度を導入し、加盟国で構成する執行委の承認制に変えた。
(2021年9月15日朝刊掲載)
5点の原爆文学資料は、「ちちをかえせ ははをかえせ」で知られる峠の「原爆詩集」最終草稿と、原爆被災時の日記、メモ▽詩人栗原貞子が「生ましめんかな」を書いた創作ノート▽作家原民喜が被爆直後の惨状を記した手帳。いずれも遺族や関係機関が原爆資料館に寄託、寄贈している。
このうち峠の原爆被災時の日記とメモは、今回新たに追加。原爆が投下された1945年8月6日の日記には「焼夷弾(しょういだん)だと叫び上衣をひっかけたとたん猛然と家震動し窓硝子(ガラス)微塵(みじん)に飛び―」と生々しく記す。
ユネスコが「世界の記憶」の新規審査を行うのは4年ぶり。従来は自治体や民間団体が直接申請できたが、今年4月から各国政府を通じた申請が前提となった。そのため、ユネスコでの本審査に進むには、国内審査が第一関門となる。
文部科学省は8月に国内候補の公募を開始した。来月15日に締め切り、有識者でつくる審査委員会が最大2件を選んで11月に結果を公表。日本政府がユネスコに申請する。
選考のハードルは高いとみられるが、土屋代表(73)は「被爆作家が命がけで残した記録は、後世に引き継ぐべき人類史的な資料。核兵器禁止条約が発効した今、原爆の惨禍を伝える文学資料が核兵器廃絶へ果たす役割は大きい」と再挑戦の意義を強調する。同会は国内外で賛同人を募っており、カナダ在住の被爆者サーロー節子さん(89)や平岡敬元広島市長(93)たち約130人が名を連ねている。
世界の記憶
世界的に重要な文書、絵画、フィルムなどの保存やアクセス促進を目的に、国連教育科学文化機関(ユネスコ)が1992年に始めた事業。95年に登録制度を開始した。日本からは「山本作兵衛炭坑記録画・記録文書」が2011年に初登録され、現在7件。中国が申請した南京大虐殺の関連資料が15年に登録されたことをきっかけに、反発した日本政府が制度改革を要求。17年を最後に新規審査が凍結されていた。今年4月、ユネスコは新制度を導入し、加盟国で構成する執行委の承認制に変えた。
(2021年9月15日朝刊掲載)