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社説・コラム

[歩く 聞く 考える] 旧日本軍兵士とトラウマ 「戦争のリアル」考える糸口に 広島大大学院准教授 中村江里さん

 戦争は究極の殺し合いだ。戦場や軍隊での体験が原因で心に傷を負い、精神疾患を発症する兵士は少なくない。かつて日本が突き進んだ戦争でも、精神疾患になった旧日本軍兵士たちがいた。しかし彼らの存在は、戦時中は隠され、戦後は忘れ去られ、長く「見えない問題」にされてきたという。なぜなのか。彼らに光を当てる意義とは―。戦争と心的外傷(トラウマ)の歴史に詳しい中村江里・広島大大学院准教授(38)に聞いた。(論説委員・森田裕美、写真・山田太一)

  ―なぜ旧日本軍兵士のトラウマに目を向けたのですか。
 欧米では第1次大戦以降、兵士のトラウマが映画などのメジャーな題材とされてきたのに対し、日本では最近まであまり取り上げられてきませんでした。アジア太平洋戦争では日本でも多くの兵士がトラウマになるような体験をしたはずです。なのになぜ、長い間「見えない問題」になっていたのか。そこに問題意識があったからです。

  ―精神疾患になった兵士はどう扱われていたのですか。
 旧日本軍は日中戦争以降、外傷がないのに手足が震えたりまひしたりする「戦争神経症」への対策を始めました。表向きは「勇敢な皇軍兵士に戦争神経症はいない」と主張して、精神疾患兵士を国民の目から隠していましたが、実際には患者は増え、対応を迫られたのです。

 1938年には千葉県の国府台(こうのだい)陸軍病院が精神疾患兵士の治療拠点になり、終戦までに約1万人が収容されました。全国の陸軍病院に収容された人や除隊後に民間病院へ入った人もいましたが、全容は分かっていません。

  ―精神疾患の要因としてどんなことが考えられますか。
 最大の暴力とも言える戦争で心身のリスクが高まったことです。また精神科医による聞き取りに対し、上官の命令で罪のない中国の市民を殺してしまったり、加害行為を拒んで顔が変形するほど上官から殴られたりした体験を語る患者もいました。加えて、暴力に耐えて当然という抑圧的な軍隊の構造があります。精神疾患は本人の弱さが原因とみなされ、さげすまれ、なきものにされました。

  ―「見えない問題」にされたのは軍隊の構造的問題ですね。
 それだけではありません。銃後の社会は「お国のために尽くす」ことが当然。患者も家族も精神疾患に対する偏見を内面化していました。陸軍病院のカルテには「国賊」というような言葉が度々出てきますし、家族から病院への手紙には「申し訳ない」とつづられています。

  ―しかし戦後は社会の価値観が変わったはずです。見えなくなったのはなぜですか。
 戦後社会の反戦意識と裏腹でもあるのですが、加害を伴う軍隊の話題に触れることに強い忌避感があったことも一つでしょう。本人は語れず、周りもタブー視して聞く耳を持たなかったと言えるかもしれません。

  ―今からできることは。
 まずは陸軍病院のカルテなどの記録をきちんと残すこと。当事者だけでなく、家族への影響も調べる必要があります。

  ―家族への影響ですか。
 暴力によるトラウマ体験は、家族関係にまで影響を及ぼすと言われます。軍隊で上官が暴力で部下を服従させるというような力関係や価値観が、家庭に持ち込まれたケースもあります。元兵士の入院記録を分析すると、多くの患者に、自分や他人への攻撃がありました。ドメスティックバイオレンス(DV)や虐待にもつながる問題です。

 日本では最近になって、元兵士の家族が心の傷について語り合うグループや交流の場ができています。これまで家庭や個人に閉じ込められていた問題を語り合えることは、家族にとっても社会にとっても大切です。

  ―語らなかった、あるいは語れなかった記憶の継承にもつながりますね。
 元兵士や家族の証言を社会で共有していくことは、戦争の暴力構造を理解し、防ぐことにもなります。また誰しもかかり得る精神疾患への理解や支援にもつながるでしょう。トラウマという視点は、何世代にもわたって影を落とす戦争のリアルを私たちが知り、考える上でも重要な糸口だと思います。

  なかむら・えり
 山梨県南アルプス市生まれ。一橋大大学院社会学研究科博士後期課程修了。同大大学院特任講師などを経て、20年10月から現職。著書に「戦争とトラウマ―不可視化された日本兵の戦争神経症」(吉川弘文館)、共著に「自衛官と家族の心をまもる―海外派遣によるトラウマ」(あけび書房)など。

■取材を終えて

 中村さんが浮き彫りにしたのは、精神疾患と診断され、病床日誌など史料に残る元兵士のトラウマだ。診断されなかったケースも含め心に傷を抱えたまま戦後を生きた人はもっといたことだろう。中村さんは当事者や家族への聞き取りも進めている。情報をお寄せください。

(2021年9月15日朝刊掲載)

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