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連載・特集

『生きて』 茶道上田宗箇(そうこ)流16代家元 上田宗冏(そうけい)さん(1945年~) <12> 古文書発見

政年間の稽古に回帰

  ≪1997年、和風堂(広島市西区)の蔵で古文書が見つかった。99年に広島市教委が調査を始め、後に「宗箇様御聞書(そうこさまおききがき)」と名付けられた。≫

 これは大発見だった。上田宗箇の茶風を弟子が直接見聞きしてまとめていた。なにしろ宗箇の実像に迫る手掛かりは少ない。この発見をきっかけに千点以上の上田家文書が調査され、2006年に資料集として刊行された。江戸時代の広島の歴史を知る意味でも意義深かったと思う。

 ≪古文書に触れる中、稽古に関わる一大改革を考えるようになる≫

 上田流には、稽古で習うべき事柄を箇条書きにした「茶事稽古順次」という一覧表がある。これを江戸時代の文政年間(1818~30年)のものに戻そうと考えた。

 明治以降になるとお茶が大衆化し、上田流を習う人も増えたようです。多くの初学者に教えるにはお点前を細かく決めてその通りやってもらうのが効率的。ただそれでは覚えるのに必死になり、稽古のための稽古になってしまう。

 古文書で文政ごろまとめられた所作の要点を見ると、「馬へ乗り手綱を持っている心持ちで手を構える」など宗箇の時代に通じる素朴さが感じられた。時代とともに複雑化した茶を原点に立ち返らせるべきだと思いました。でもいきなり昔に戻して理解してもらえるかと悩んだ。

 芸能を究めた方でないと分からないと思い、能楽幸流小鼓方の横山晴明さんに相談しました。横山さんは「ぜひしなさい」と賛同してくれた。能の世界も文化・文政のやり方を参照にすることが多い。どこかで整理しないと原点の流儀が伝わらないですよ、と。意を強くして2005年、稽古順次の改正に踏み切りました。

 ≪関係者の受け止め方は好意的だった≫

 本来それぞれの所作には、もてなす人や扱う道具を考えた意味がある。年月を経て複雑で分かりにくくなった、それらの意味を見つめ直す効果があった。稽古の先に宗箇の精神が見えるようになったのが良い。

 古文書は現代に生かすことができる。実は今も蔵に眠っていた別の文書の調査を準備している。どんな発見があるか楽しみです。

(2021年9月15日朝刊掲載)

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