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連載・特集

緑地帯 人間マンダラ 久保俊寛 <1>

 毎夏、広島市で個展を開いている。近年は専ら、広島の知人友人の肖像画を並べる。故人も増えてしまったが、創作の仲間、ふるさと呉市の親族、恩師、学芸員、美術評論家、新聞記者…。腹がたつのもいるが、絵に描くと不思議と許せる気がする。

 私は日米開戦の1941年、呉市焼山で生まれた。隣町の熊野出身の祖母と母は、筆職人で農業との兼業。父が書の達人だったせいか、書と絵が得意になった。

 11歳の夏に父が結核で他界し、中学卒業後、三菱の造船所で働くため広島に出た。街は既に復興していたが、駅前の川岸にはバラックの家々が並び、強い印象を受けた。厳寒の朝、屋根の霜がキラキラと光っていた。

 その後、国泰寺高の定時制に編入し、美術クラブで柿手春三先生の指導を受け、絵画の魅力に目覚めた。先生の勧めで、22歳から広島平和美術展に出品を始めた。当時は職場美術が盛んで、三菱に、二科会の増田勉先生が指導に来られていた。

 23歳で二科展に初出品し、その年、二科広島新人賞をもらった。モチーフは、駅前のバラック街。休日に夢中で写生した。その頃から、会社の仕事と絵の“二足のわらじ”を意識するようになった。

 柿手先生も増田先生も、広島、平和をテーマに生涯制作された方で、大きな影響を受けた。私はそれを引き継ぎつつ、人間の多様な相貌を追う「人間マンダラ」をテーマに掲げている。(くぼ・しゅんかん 美術家=千葉市)

(2018年11月20日朝刊掲載)

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