×

連載・特集

緑地帯 人間マンダラ 久保俊寛 <2>

 私は広島職場美術展、広島平和美術展、二科展を発表の場とする中、生涯の画友、殿敷侃(ただし)(1942~92年)に出会うこととなる。昨年、広島市現代美術館で回顧展が開かれた美術家だ。

 彼は私と共に、中区の「なめくじ横丁」にあった志條みよ子さん経営の梟(ふくろう)画廊で個展を開く常連だった。私は上京後も含め、7回の個展を開いた。私と同年齢の殿敷とは、常に刺激を与え合う関係であった。

 彼は国鉄で働いており、28歳で転勤で上京。三菱の造船所に勤めていた私も、30歳で東京に転勤した。それぞれ、東京の美術界で多くのことを学んだ。殿敷は30歳で国鉄を退社し、長門市にアトリエを構えた。

 彼は上京のたびに東京・町田の私のアトリエを宿とした。酒を飲めない彼と酒好きな私とで、美術の新しい方向を語り合った。

 私も、長門の殿敷のアトリエを訪問した。彼は当時、田んぼに壊れたテレビを並べたインスタレーション「田園交響曲」や、裏山の樹木にタイヤを下げる「タイヤの生(な)る木」など、新しい挑戦を次々と続けていた。

 その少し前には、ペンによる細密画に夢中となり、その制作に用いるインク(輸入品)を頼まれ、東京から何度か送った。

 彼の細密画に影響を与えたのは、東京で見たウィーン幻想派展だったと思う。現代アートの表現に踏み出すのには、ドイツのヨーゼフ・ボイスの影響が大きかった。私も彼も、公募団体展のあり方に疑問を持つようになり、退会しそれぞれの道を歩んだ。(美術家=千葉市)

(2018年11月21日朝刊掲載)

年別アーカイブ