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連載・特集

緑地帯 人間マンダラ 久保俊寛 <5>

 広島に原爆が投下された年、私は4歳で、呉の自宅の横にあった防空壕(ごう)に出入りした。遠い記憶の中で、空襲警報の音や米軍のB29の黒い影がよみがえる。

 1995年、広島市現代美術館の被爆50年展「ヒロシマ以後 現代美術からのメッセージ」を見に帰郷した。増田勉先生や画友の殿敷侃(ただし)、先輩のたべ・けんぞうさんらの作品も並んだ。国内外の作家がヒロシマを造形化していることに感慨を覚えた。

 その頃の私は、注連寺(山形県鶴岡市)の天井画を描き終え、新しい道を求めていた時期だった。東京へ戻る新幹線で車窓の風景に目をやりながら、今、アトリエで作っているマッチ棒のオブジェのことを考えた。火や熱を象徴するマッチ棒で地球を作れないかという思いが頭をよぎった。

 帰宅後、早速、台所で中華鍋を探し当てた。8月6日、ラジオから流れる平和記念式典の様子を聴きながら、赤く染めた無数のマッチ棒を鍋の中で組み始めた。手探りの作業で約1カ月。苦闘の末、一部未完ではあったが球体ができた。折しもその日、フランスによるムルロア環礁での地下核実験が報道された。

 どう完成させるか悩んでいた時、新聞で目にした実験場の海面の姿が、球体の欠けた部分の印象と重なり、手を止めた。これでよい。作品の題名を「反核の玉」と決めた。国境や人種などの壁を超え、人間が連帯した時にこの穴が埋まるのだ。

 このシリーズは後に、広島の原爆資料館や三良坂平和美術館(現三次市)などに収蔵された。(美術家=千葉市)

(2018年11月24日朝刊掲載)

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