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連載・特集

緑地帯 人間マンダラ 久保俊寛 <6>

 マッチ棒で球体を組み上げたオブジェ「反核の玉」は、1995年からの10年間に、約40個制作した。千葉、埼玉、川崎、八丈島など各地で公開制作した。故郷の呉市の小学校の総合学習で、制作を指導したこともある。

 スペイン・マドリードで個展を開いた時も公開制作し、現地の美術館に収めた。韓国南西部の東新大学校での国際芸術祭でも制作し、寄贈して帰国した。

 埼玉県東松山市の原爆の図丸木美術館は、毎年8月6日に「ひろしま忌」と題する催しを開いている。2001年、私はそこで「反核の玉」を焼却するイベントを、美術評論家のヨシダ・ヨシエ氏の立ち会いの下に実施した。

 近くの川で恒例のとうろう流しが始まる夕方、作品に着火した。小雨が降ってきたが、さすがにマッチ棒、よく燃える。黒く焼け落ちていくさまが、原爆ドームのドームのイメージに重なった。

 16年に86歳で亡くなったヨシダ氏は、戦後の占領下、「原爆の図」を背負って全国を行脚し、巡回展を支えた気骨の人である。後にマッチ棒オブジェの写真集を作った時、「マッチ一本火事の元 マッチ千本生命の希(ねが)い」という寄稿を頂いた。

 02年、広島市中区にあった袋町芸術館で公開制作した時は、赤色に染めたマッチ棒で原爆ドームを作り、周りを白いマッチ棒で囲んだ。最終仕上げは原爆ドームのそばで行った。私の母校、国泰寺高の鯉城同窓会館に収められた。

 願わくは、核のない世界となって青いマッチ棒で制作し、長年のプロジェクトを終了させたいものだ。(美術家=千葉市)

(2018年11月27日朝刊掲載)

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