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連載・特集

緑地帯 迫幸一を追って 戸田昌子 <2>

 2016年11月、広島市中区の八丁堀電停前はにぎやかだった。広島東洋カープのリーグ優勝を祝う41年ぶりのパレード当日だったからである。「ここが、父が住んでいた、私たちが住んでいたところ」と青樹(せいじゅ)さんがふいに言った。

 中央写真界からは長く忘れられていた迫幸一。青樹さんはその長男である。アマチュア写真家であった迫が初めて注目されたのは1954年、ドイツでの第2回「主観主義写真展」に作品が入賞したことがきっかけだった。「風信」と名付けた代表作である。その後、迫は国内外の写真年鑑に入選を重ね、欧米の写真誌や書籍に写真が掲載されるようになる。

 写真に夢中になった迫が仕事をやめたのは50年ごろらしい。妻マサエは美容室経営で生計を担い、57年には八丁堀電停近くに自社ビルを建てた。その完成記念に詩人の北園克衛と、彼が主宰した詩誌「Vou」同人たちを広島に招いて三つの展覧会が行われた。詩と写真を組み合わせた「詩・写真展」、「Vou」詩人たちが撮影した写真による「第10回Vou形象展」、そして正岡国男と迫幸一との二人展である。

 詩への憧れから、詩を書くように写真を作りたいと願っていた迫にとって、この頃がもっとも充実した時代だったのではないだろうか。青樹さんの手元に残されている資料の中には、詩人の蔵原伸二郎による「人間たちの幻影 みんなみんな 落ち葉の奥に 消えて ゆくのだ」という詩文と「風信」が組み合わされた新聞の切り抜きがあった。喧騒(けんそう)の街角には、自社ビルの姿は跡形もない。(写真史家=東京都)

(2018年7月18日朝刊掲載)

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