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連載・特集

緑地帯 迫幸一を追って 戸田昌子 <3>

 1957年9月、広島・八丁堀電停前に完成したばかりの迫幸一の自社ビル「中央ビル」で行われた三つの展覧会に、詩人・北園克衛が訪れていた。

 北園と迫を結びつけたのは「主観主義写真」。北園はこの時、人の頭のなかに現れるポエジーを、写真家がレンズを使って表現するのが主観主義写真だと述べている。58年から迫は、北園主宰の詩誌「Vou」(35~78年)に、毎号のように写真を投稿する。

 主観主義写真とは、51年にドイツで始まり、国際的に広がったムーブメントである。写真を個人の主観的なビジョンを表現する手段として用い、部分や動きを強調したり、モンタージュやフォトグラムなどの多様な技法を使う。56年には日本主観主義写真連盟が結成され、60年までの3回の展示のすべてに迫は出品した。北園は第2、3回展に写真を出品している。

 詩を目指した写真家と、写真で詩をつくった詩人。両者のアプローチは似ているようでいて、次第にずれていく。しかし迫の北園への思いはやまず、71年には妻の美容室の宣伝カレンダーのために詩を書き下ろしてもらっている。「白のmass」と題した北園の詩は、ポツンと置かれた雪だるまの前をコウモリ傘の男が通り過ぎる写真と組み合わされている。

 最期まで「Vou」を発行し続けた北園は、78年に亡くなった。迫は80年4月に弟子たちと「写団Vou」を創設、現在まで続けられている。「ひとは華麗な緑を夢みながら孤独のしみをのこしていく」という「白のmass」の一節が印象に残る。(写真史家=東京都)

(2018年7月19日朝刊掲載)

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