×

連載・特集

緑地帯 迫幸一を追って 戸田昌子 <4>

 迫幸一の作品に出会う前、2010年に私は広島を訪れている。山口県の周防大島生まれの民俗学者・宮本常一(1907~81年)の民俗写真についてシンポジウムで講演をするためである。

 宮本は、風景とは人の営みそのものであると捉え、その変化を10万枚の写真に撮った。迫もまた、カット数にすると10万点の写真と、およそ千点にのぼるビンテージプリントを残している。

 呉市生まれの迫と、周防大島生まれの宮本。11歳違いの同時代人のふたりは、瀬戸内の海を見て育った。彼らが熱心に写真を撮った50~70年代、高度経済成長と列島改造で日本の風景は大きく変わった。迫が撮った除虫菊がぎっしりと咲き乱れる山の風景はもうなく、宮本が撮った見事な石積みも多くが崩れ落ちている。

 今年5月、広島での迫の写真展「人間たちの幻影」で、地元写真家が迫の作品を指さし、「ハスですね」と言った。くたりと折れた枯れハスの茎が、強い光が照り返す水面に反射している作品で、私にははじめ抽象的な造形としか見えなかった。「わかるんですか」と尋ねると、「写真やると最初にこれを撮らされますからね」との答えが返ってきた。

 瀬戸内の海辺の町は、内陸や日本海側と比べ、光が強い。鏡面状の水面に露出を合わせれば、ハスの茎は真っ黒、ディテールはつぶれて抽象的な造形となる。迫の造形的な作品は、瀬戸の海沿いの風景をリアリズムでとらえたものだということが、この時すとんと胸に落ちた。迫も宮本も、瀬戸内の風景を生きていたのだ。(写真史家=東京都)

(2018年7月20日朝刊掲載)

年別アーカイブ