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連載・特集

緑地帯 迫幸一を追って 戸田昌子 <7>

 迫幸一は、自分の手で丁寧に焼いた、いわゆる「オリジナル・プリント」を大切に保存していた。生涯で20回も転居しながら、作品も資料もほとんど散逸しなかったのは奇跡的というべきだろう。

 迫が生まれたのは呉市吉浦町であるが、1926年に母の古里の江田島へ引っ越す。江田島は1888年に海軍兵学校が設置されて以来、海軍の島でもあった。少年の目に、士官をめざす訓練中の青年たちはどう映っただろうか。

 迫は転居を重ねながら、1955年から33年間かけて江田島を撮り続けた。海軍兵学校は戦後の進駐軍時代を経て海上自衛隊幹部候補生学校となり、迫は許可を得てその内部を撮影し、90年に写真集「江田島」を刊行した。

 規律の取れた若者たちの動きを捉える一方で、島の人々の生活風景、農業やカキの養殖、幻想的な海の情景を数多く撮影している。さらに魚雷発射装置跡などの風景。迫はそれらをはさみで切り取ってモンタージュし、実際には存在しない風景を作り出している。

 そのうちの一枚に、江田島の中郷で撮影された満開のこぶしの花と月をモンタージュした「メルヘン」(71年)がある。序文を読むと、江田島の古鷹山一帯で78年に大火災があって、山林面積の8割が消失したとある。翌79年、江田島では桜が「島の木」として指定され、多くの桜が植樹された。

 海軍から進駐軍、そして海上自衛隊へ。こぶしから桜へ。眼前に咲き乱れるこぶしの花を写しながら迫は、その向こう側に、人の手が歴史を改変してゆく風景を幻視しようとしていたように思える。(写真史家=東京都)

(2018年7月25日朝刊掲載)

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