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社説・コラム

『潮流』 もし自分だったら

■ヒロシマ平和メディアセンター長 金崎由美

 東京五輪に続き、パラリンピックが5日閉幕した。深刻なコロナ禍での両大会の開催について、私自身は問いが消えないままだ。それでも期間中は、特にパラリンピックの競技中継と報道に長時間、見入った。

 銀メダルを得たトライアスロンの宇田秀生選手が左腕で顔を覆い、号泣する姿にこちらも感涙した。右腕が肩甲骨までえぐられた事故を境に、どれだけの挫折を経たのか。もし自分だったら―。想像を巡らせる毎日だった。もっとも、トップ選手は健常者と同様に一握りで、「頑張り」を一般化するべきでないだろう。

 私の中の違和感は、森喜朗元首相が組織委員会の会長を退くに至った「女性蔑視発言」に始まり、「多様性」の掛け声と相いれない実態が次々と明らかになったことも大きい。森氏は辞任後も、河村建夫元官房長官の事務所の秘書について「大変なおばちゃんがいる。女性と言うにはあまりにもお年だ」と発言していた。事の根深さを痛感した。

 その秘書は中内節子さんで、先日訃報に接した。89歳。東京に駐在した15年ほど前、派閥取材や原爆症認定を巡る取材でお世話になった。「先生はまだあっちにいるわよ」と教えてもらい走って行った。慣れない永田町取材で心が張り詰めていた頃「あら、その服似合うわね」などと真顔で言われ肩の力が抜けた。当時既に70代半ばで、院内屈指の存在感。冥福を祈りながら、旧知の森氏には「あら、失礼ね」というぐらいだったろう、と想像した。

 だが、個人間の良好な関係性が、問題の本質を打ち消すわけでない。「大変なおじちゃんがいる。男性と言うにはあまりにもお年だ」と女性から言われたら。もし自分だったら―。

 感動とともに、費用面を含めあまりに多様な問題を浮き彫りにした今大会。閉会式の余韻とともにご破算にしてはならないと思う。

(2021年9月16日朝刊掲載)

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