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連載・特集

『生きて』 茶道上田宗箇(そうこ)流16代家元 上田宗冏(そうけい)さん(1945年~) <13> 国際交流

ヒロシマとともに歩む

  ≪広島市は1983年にドイツ・ハノーバー市、86年に中国・重慶市とそれぞれ姉妹都市提携を結ぶ≫

 重慶市であった調印式に呼ばれ、両市長にお茶を振る舞った。大ホールの壇上でお点前を披露し、その様子は地元のテレビで大きく報道されてね。お茶は国際交流の役割も果たせるんだなと実感した。

 ハノーバー市では、提携5周年のとき現地にある世界最大級の国際見本市会場で大々的な記念行事が開かれた。当時の荒木武・広島市長から相談され、4畳半の茶室「洗心亭」を会場に設けて寄贈することになった。とても喜ばれてね。今は市内の公園に移設され外露地や内露地も増設されている。要請を受け上田流正教授者の中本洋世さんを指導役として派遣しています。

 現在海外にはドイツ、米国などに15の上田流の教室があり、約100人のお弟子さんがいる。お茶への関心が高く、日本文化に取り組む姿勢が日本人以上に熱心な印象がある。

 ≪2008年には広島市で主要国(G8)下院議長会議が開かれた≫

 河野洋平衆院議長(当時)の希望で、上田流にお茶席の接待をしてほしいと要請があった。広島の復興の象徴と思ってくださったんだね。

 広島厚生年金会館(現広島文化学園HBGホール、広島市中区)で30分間の予定だった。広島市は各国議長の到着が遅れるパターンも2通り用意していたけど、実際は20分も早まるとは誰も想定していなかった。「参ったな」と思ったよ。助け舟を出してくれたのは、今も米国の下院議長を務めるペロシさん。機転を利かせて「着物を見せてくださいますか」と。他にもいろいろ質問して場を持たせてくれた。

 後に河野さんから議長公邸に招いていただき、帰りには河野さんと秘書5、6人が玄関まで丁重に見送ってくれた。よほど良い茶会だったと思ってもらえたんだろう。河野さんは平和への思いも人一倍強かったからね。

 ≪毎年8月6日には広島市の招待で、20カ国ほどの駐日大使を和風堂に迎えている≫

 これほど地方都市に根差し、その都市で信頼されている流儀は他にないといわれる。ヒロシマとともに歩んできた証しなのだと思う。

(2021年9月16日朝刊掲載)

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