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連載・特集

緑地帯 「聖地都市」考 杉本俊多 <5>

 平和記念公園(広島市中区)の設計競技で1等となった丹下健三の残したものは、「聖地」の使い方や公園デザインばかりでなく、原爆ドームを見通す南北軸の都市デザインだった。最近、当時の資料を読み直す機会があったが、今では当たり前にも見えるこの公園軸に、若き建築家の情熱と思慮深さが込められていたことを再認識し、感銘を新たにした。

 奥へ向かってより聖なるゾーンに進んでいく空間デザインは、鳥居の奥に社を見通し、弥山を仰ぎ見る宮島(廿日市市)の厳島神社にも見られる、日本的な聖なる空間の演出手法である。もっとも、巨大なパイロン(塔門)を何度もくぐって至聖所へと迫っていくエジプトのカルナック神殿などでも、同じ原理を感じ取ることができた。ギザのピラミッドは、ナイル川の水辺から続く長い参道の先にあった葬祭殿の背後にそびえ立ち、弥山と同じ構図を成す。

 軸線的な見通し景観はイタリア語で「ヴィスタ」といい、ルネサンスからバロックの時代のローマ改造では、教会堂や記念碑を見通す街路計画で発達した。ただし、テベレ川の河畔からサン・ピエトロ教会堂の正面を見通す直線街路の印象的なヴィスタは、1930年代に加えられたものである。

 丹下の当初の公園アイデアは壮大で、原爆ドームへの軸線をまたぐ巨大なアーチをも提案しており、広島デルタの空間構造を表象するものだった。このアーチと軸線は、42年開催予定だったが中止されたローマ万博会場計画案でも見られ、50年代の丹下の構想に影響したかもしれない。(広島大名誉教授=東広島市)

(2018年6月29日朝刊掲載)

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