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連載・特集

緑地帯 梟の眼と愛 出原均 <4>

 志條みよ子さんは「画廊梟(ふくろう)」を、地元の作家を扱う企画画廊だと説明していた。そこには次のことが含意される。まず、中央画壇で著名な画家の絵や版画を仕入れて販売するような画廊ではないこと。そして、画家に場所を貸すのが主目的の貸画廊でないこと。志條さんの自負がうかがえよう。

 地元作家を扱うのは郷土愛からだけでなく、自身の守備範囲を明確にする意図があったと考えられる。評論家の青山二郎の考えが影響していたかもしれない。青山は、歴史のある中国陶磁の世界では多くの場合、個々の物はただ歴史の中に位置づけるしかないが、歴史のない日本の陶磁の中には、自分で美を発見する可能性があると述べていた。志條さんは、わが意を得たと思ったに違いない。確かな目があれば、地元作家の絵に発見があるはずである。

 若手から大家まで幅広い画家を扱ったが、特に重視した画家を挙げれば、その小品を「精緻な優雅さ」とたたえた浜崎左髪子、多彩な画業中の小品であるガラス絵にも宏大(こうだい)な世界を込めた船田玉樹、ヒロシマを直接描かなくともそれに通じる情念のイメージを現出させた灰谷正夫、洒脱(しゃだつ)な線と巧みなデフォルメが魅力の福井芳郎。個展や2人展を何度も開催し、4人の競作展も2度行っている。

 梟コレクションの中に、骸骨を描いた福井のデッサンが2枚ある。晩年の原爆記録画「広島の怒り」の下絵だ。原爆文学から一定の距離を取っていた志條さんだけに意外なようでもあるが、やはり彼女も根底に原爆を据えていたのだと納得できよう。(兵庫県立美術館学芸員=神戸市)

(2018年4月21日朝刊掲載)

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