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連載・特集

緑地帯 金子兜太の周りで 石川まゆみ <2>

 俳句を始めた20年前、金子兜太先生はまだ文字の上だけの人であった。兜太先生が妻の皆子さんを亡くされた2006年、私は「海程」誌に載った皆子さんの写真の笑顔に見入った。この上ない慈顔であった。

 私は仕事を理由に大事なものを置き去りにしてきた気がして、全国大会への参加を始める。大会での兜太先生は少ししゃがれた歯切れの良い声で、150人以上の句全てを評される。「この句はもう捨てたほうがいいですな」などの毒舌にも笑いが起こる。入選、佳作、問題句、特に好きな句。特選は、先生揮毫(きごう)の色紙がもらえる。

 大会への車中で、広島の海程人は早朝から句会をする。長野県での大会に行く朝、特急あずさの車窓に白い雪を頂いた山が見えた。指さす間もなく見えなくなった。<夏山のもう手の届かない白さ>という句がポンとできた。兜太先生から初めて色紙をもらった句である。しかも「この句は好きだなあ」と、先生のつぶやきも聞こえた自慢の一句である。

 何度か兜太先生の生の声に触れた頃、<無神の旅あかつき岬をマッチで燃し 兜太>に、シュッとマッチを擦る響きを感じ、句中の音ということを意識した。また、<きょお!と喚いてこの汽車はゆく新緑の夜中 兜太>。「きょお」と捉えたセンスに感じ入った。

 ある秋、比叡山で勉強会があると聞き、友人と参加した。句の感想を求められた彼女は、よく響く一声を発した。瞬間、兜太先生の目が声の主を探す。誰かが「若い人だからよ」とささやいたのが、おかしかった。(俳誌「海程」同人=広島市)

(2018年4月7日朝刊掲載)

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