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連載・特集

緑地帯 金子兜太の周りで 石川まゆみ <6>

 東日本大震災から間もない2011年5月、広島市で「海程」全国大会を開催した。被災された東北の方も含め、150人近くが集まった。金子兜太先生もお元気で来てくださった。懇親会では水内神楽団(佐伯区)に八岐大蛇(やまたのおろち)を演じてもらった。

 大会では<水羊羹いつか貧しき臀部かな まゆみ>が兜太選の一つに入った。大会の準備でパソコン前に座りっぱなしだった時期、股関節を痛める前兆を感じた際の句だ。自分の感覚の鋭さに妙に感心した句である。

 兜太先生の揮毫(きごう)はぜひ熊野筆でと、広島県熊野町のメーカーまで直接、相談に行った。過去の大会で手に入れた色紙を、社長さんに見ていただく。太くて力強く押し付けるような書き方なので、硬めのがいい、と。先生の揮毫はその筆による。

 私は、「五月広島」と書かれた1枚を迷わず頂いた。5月は私の誕生月で、還暦と月末の定年退職を控えていた。大会準備に追われ、遅れ遅れでカレンダーをめくっていたが、その年の5月を開いたまま、眺めているうちに7年がたつ。大震災と広島大会と自分の定年退職と、たくさんのことが詰まった年。兜太先生が広島に来られた記念すべき5月のページは、このままにしておこう。

 大会中、兜太先生は原爆ドームを訪れた。翌々年の大会は長崎でだった。広島では広島県現代俳句協会の主催で毎年、平和祈念俳句大会を開催している。先生も長く選者だった。俳句を通して平和を見つめる。難しいことだが、岩をも穿(うが)つ一句だと信じて出す。(俳誌「海程」同人=広島市)

(2018年4月13日朝刊掲載)

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