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連載・特集

緑地帯 金子兜太の周りで 石川まゆみ <7>

 私の母は1945年、広島赤十字病院付属の看護学校に入り、4カ月後、病院の2階で被爆した。その日は故郷の三次に帰り、また病院に戻って負傷者の看護に当たったが、まもなく体調を崩し、ついに職を離れた。

 金子兜太先生に評価された拙句、〈死者ならば沓(くつ)をください原爆忌〉は、被爆の日に故郷へ帰ろうとするが靴がなく、死者に手を合わせて草履をもらって歩いた、との母の話から作った。また、〈九冬を飢えなほ愛国といふ胎教〉は、国も時代も知らずに生まれてくる子どもたちへ、教育が持ち得る恐ろしさを詠んだ。

 俳句で何ものかを変えることは意図していないが、せめて自分が気づくことはできる。その気づきに少しでも共感してくれる人がいるか、そして、その共感の輪は果たして正しいのか、常に意識していたい。満場の拍手には注意。自分の頭の中までは、誰にも乗っ取られまいぞ、と思う。

 広島にはいろんな俳句の会があり、多くの方が俳句を楽しんでいる。縮景園(広島市中区)でも、たいてい同好の士と出会う。しばし話に花を咲かせるのも楽しみ方である。街を歩けば何かを思う。それを俳句にする。

 広島城(同)でひょいと腰掛けた所が「大本営跡」。そこで一句、〈大本営跡に尻乗せ神の留守〉。苦吟中、テントウムシを眺めて一句、〈天道虫を吹いて邪魔する遊びかな〉。梅の時季にばったり出会った友との話に一句、〈紅梅の中で宝石買う話〉。一句作れば、写真を撮ったようにその時の光景を鮮やかに思い出す。(俳誌「海程」同人=広島市)

(2018年4月14日朝刊掲載)

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