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連載・特集

緑地帯 佐藤先生の光跡 古川修文 <8>

 1960年代に入り、広島では原爆ドームを保存するか、取り壊すかの議論が活発になっていた。その頃、佐藤重夫は広島市の建築審査会委員を務めていて、当時の浜井信三市長から相談を受け、65年7月、調査に着手した。

 佐藤は原爆ドームを神聖なイコン(肖像)と捉え、取り壊すなど論外という考えだった。しかし、ドームはれんがもコンクリートも劣化がひどく、手で触ると崩れ落ちる状態であった。佐藤は実験を重ね、当時、出回り始めたばかりのエポキシ樹脂を亀裂に注入して固める方法を考案した。

 ただ、樹脂は高価であり、修理の見積もりを出すと1億円以上かかった。当時の市の予算では工事は1件当たり5千万円が限度だったといい、4千数百万円の見積もりを出した。市長は事情を了承し、予算は議会も通った。足りない費用は全国に協力を願おうと考え、市長も街頭に立ち、寄付を募る活動が行われた。幸いに約6600万円が集まった。

 早速、専門家で「原爆ドーム保存工事技術委員会」が設立され、佐藤が委員長に推されて工事の指揮を執った。67年8月、工事は終了した。佐藤が調査に着手した2年前の状態は保存の技術的限界といえ、浜井市長と佐藤の決断がなかったならば、原爆ドームは消滅したかもしれない。

 佐藤先生の人生に感銘を受けてきた私は昨年、「巻雲(けんうん)―思杏(しきょう)・佐藤重夫の光跡」と題した本を編集した。ここで紹介した内容は一部である。広島、岡山の両県立図書館などで読むことができる。(元法政大教授=東京都)=おわり

(2018年3月14日朝刊掲載)

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