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連載・特集

緑地帯 主権者を培う文化 大井赤亥 <4>

 政治学者の丸山眞男は、政治の本質を「悪さ加減の選択」と言った。折に触れて反すうする価値のある教訓と思う。その妙味は、むしろ政治を「悪さ加減の選択」と捉えなかったらどうなるかを考えることで浮き彫りになる。

 第1に、政治を「ベストの選択」と捉えたらどうなるか。ベストを求める有権者の圧力は、「万能薬」を提示するリーダー、今風にいえばポピュリストを招きやすい。しかし、利害が複雑に交錯する政治の現場で、快刀乱麻を断つ万能薬は存在しない。それゆえ、有権者の期待は容易に幻滅に転化する。政治に対する万能信仰と、政治に対する絶望とは、裏腹の形で同居している。

 第2に、もし政治の「悪さ」をその加減に関係なく、一律に批判したらどうなるか。「悪さ加減の選択」とは、全ての選択肢が悪でありながら、そこに小悪、中悪、大悪といった程度があるということでもある。小悪と大悪を程度に関わらず一律に批判するということは、いわば窃盗と殺人とを一律に罰するようなものだろう。それは一見、悪を許さぬ潔癖主義のようで、窃盗を相対的に過酷に罰し、殺人を緩く罰することになってしまう。

 政治的判断とは、大悪に対して小悪を選ぶ「消極的行為」にすぎない。しかし、政治の「悪さ加減」を十分知り、なお選択するというのは、丸山が逆説的に述べるように「積極的態度」でもある。「悪さ加減の選択」をいかに肯定的に語り得るかに、成熟した政治判断の裾野が広がっている。(日本学術振興会特別研究員=東京都)

(2017年12月6日朝刊掲載)

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