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連載・特集

緑地帯 主権者を培う文化 大井赤亥 <8>

 今夏、広島に暮らす母、いさじ章子をみとった。3年前に膵臓(すいぞう)がんの告知を受け、今年3月に緩和ケア病棟へ。以降、私は東京と広島を往復する日々だった。

 30代前半で私を産んだ母。「私の知る母」は40代以降にすぎないが、その限りでも、母は幾つかの出来事を契機に「変化」した。

 第一に離婚だ。離婚後、フェミニズムという呼び名さえ堅苦しいほどに自由な社会運動へのコミットを強めた母は、韓国の打楽器チャンゴを手に、路上パフォーマンスを展開した。その軌跡は2014年12月、当欄「緑地帯」に本人がつづっている。

 第二の契機は病だ。がん告知を受けて以来、母親は表現を文章に求め、小冊子「ランゲルハンス島の休日」をまとめた。原発事故のその後や貧富の格差といった世相を鋭く見つめつつ、筆致はこの世界への愛着に満ちている。

 遺品を整理していると、私が送った博士論文を、母が線を引きながら読んでいたことが分かった。専門的な学術論文に、母がどれだけなじんだか。またその論文が、母にどれだけ役立っただろうか。

 政治学者の丸山眞男は、政治における「在家仏教」の大切さを説いている。仏教になぞらえて民主政治の質も、「出家」した職業政治家ではなく、「在家」の民衆、アマチュアの政治意識によって成り立つという意味である。

 主権者を培う文化は、日常感覚で政治を捉える人々によって支えられる。丸山のいう「在家仏教」を、あらためて胸に刻ませる母であった。(日本学術振興会特別研究員=東京都)=おわり

(2017年12月12日朝刊掲載)

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