×

連載・特集

緑地帯 麗しのキューバ 佐藤美由紀 <6>

 チェ・ゲバラの広島訪問は、本人の強い希望によるものだった。来日当初、彼を含むキューバ使節団の視察日程に広島は入っていなかった。その代わり、というべきか、日本の外務省は東京・千鳥ケ淵戦没者墓苑に案内する予定を組んでいた。

 しかし、ゲバラは「それは、アジアの幾百万の人々を殺した帝国主義軍隊の墓ではないか。私は行かない。私が行きたいのは広島だ。アメリカが10万人の日本人を殺した広島だ」と言って、千鳥ケ淵に行くことを拒否したという。

 そしてゲバラは急きょ広島にやって来た。写真も残されている。使節団の仲間が原爆慰霊碑前の献花台に花を手向ける背後で、うつむき加減に立つゲバラを捉えた一枚。1959年7月26日付の中国新聞に掲載された。

 この写真を初めて目にした時は感慨深いものがあった。ゲバラが立った場所には私も何度か立っている。そう思うと感動的でさえあった。だが、何度も写真を見ているうちに、陰りあるゲバラの表情が気になりだした。沈痛、ともいえる面持ちは、大きな悲しみや怒りからきているのは確かだろうが、そればかりではないような。

 原爆の投下責任が碑文にはっきり示されていないことも、ゲバラは案内役の広島県職員に問いただしたという。彼は心に複雑なものを抱えていたのではないか。

 その後、幾つかの雑誌や書籍にも載った一枚の写真。かつてゲバラが司令官を務めたカバーニャ要塞(ようさい)の執務室(現ゲバラ博物館)でも目にすることができる。(ノンフィクションライター=東京都)

(2017年9月30日朝刊掲載)

年別アーカイブ