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兵隊たちが苦しみ差し出す手 握り返した 長崎原爆 救護体験 児童書に 岩国で長年語り部活動 故大下さんモデル

 岩国市原爆被害者の会の副会長を務め、被爆体験の語り部を長年続け、2017年9月、93歳で亡くなった大下美津さんをモデルにした児童書「かずさんの手」が出版された。原爆投下直後の長崎で、看護師として多くの負傷者を救護した体験を基にした物語。戦争の理不尽さや平和の尊さを訴える。(有岡英俊)

 物語は小学校中学年の「みか」と96歳の曽祖母「かず」のやりとりを通してつづられる。しわしわのかずの手を取って遊ぶみかに、かずが記憶の糸をたぐるように「あの日」を語り始める。

 かずが働いていたのは爆心地から17キロ離れた海軍病院。1945年8月9日午前11時2分、閃光(せんこう)に包まれ、爆音が響いた。きのこ雲も見えた。続々と運ばれる兵隊たち。「かあちゃん」「おふくろ」と、苦しみながら差し出された兵隊たちの手を、かずは握り返した。

 愛媛県と大分県に住む双子姉妹の作家佐和みずえさん(合作用ペンネーム)が、新聞記事で大下さんの体験を読み執筆した。

 大田市出身の大下さんは43年、日本赤十字社島根支部の救護班として、長崎県大村市の海軍病院に派遣された。21歳だった。45年11月末まで被爆者の治療に当たった。46年、看護師として採用され岩国市に来た。

 長崎の経験は当初、差別やわが子への影響を心配し、夫にも明かさなかった。全国で幼い命が犠牲になるニュースに心を痛め「命の尊さを伝えたい」と00年ごろから亡くなる直前まで語り部として活動した。被爆60年の中国新聞の取材にも「広島も長崎も知らなければいけない現実」と話していた。

 岩国市原爆被害者の会の山田英子会長(86)は大下さんが亡くなる1週間前、大下さんの体験をまとめた文章を見てもらった。「二度と悲惨な戦争が起こらないよう努力してほしいと、最期まで伝えようとされていた」と振り返る。

 次女の大下美重さん(62)は「少しでも多くの人に、母の体験や思いに触れていただけたらうれしい」と望んでいる。A5判、63ページ。1320円。小峰書店(東京)。

(2021年9月19日朝刊掲載)

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