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歩く速さで命見つめて 「広島を学ぶ」 広経大・岡本名誉教授 最後の講義に同行

被爆地と軍都 深い気付き

 戦争遺構や戦跡を巡る授業を続けた広島経済大(広島市安佐南区)の岡本貞雄名誉教授(69)=宗教学=が、退職のため最後となる集中講義「広島を学ぶ」を8月23日から3日間、実施した。歩きながら「被爆地」と「軍都」の歴史を学ぶ授業を通して、伝えたかったことは―。同行して考えた。(湯浅梨奈)

 原爆ドーム(中区)前に集まった学生13人と岡本さん、同大の竹林栄治准教授(55)は1分間の黙とうからフィールドワークを開始した。爆心地の島内科医院前で、午前8時15分に岡本さんの「今!」という合図を聞き、一斉に空を見上げた。上空約600メートルで原爆が爆発した76年前も、市民は顔を上げ、一瞬で焼かれたのか…。足がすくむ。

 広島城では竹林さんが「大本営跡です。日清戦争時に明治天皇が戦争指揮を執りました」と説明。残るのは基礎石だけだ。「この辺をランニングするが、知らなかった。一発の爆弾で跡形もなくなるなんて」と同大4年の正路悠(しょうじ・はるか)さん(22)は話した。歩兵第11連隊跡や陸軍幼年学校跡など7カ所を巡るうちに「陸軍施設はこんなに広かったのか」と実感する。

 最終日は江田島市へ。江田島町幸ノ浦の「海上挺進(ていしん)戦隊」の慰霊碑前で、保存会代表の岡野数正さん(67)が「皆さんと同世代の若者が、ここで特攻訓練をした後、戦地で死にました」と説明した。慰霊碑の傍らにたたずむ古びた桟橋と、少年たちの姿が重なった。

 能美町の中町軍人墓地には、第2次世界大戦の戦死者を含め約180基の墓が並ぶ。「二十三歳」「二十六歳」…。墓石に刻まれた年齢に、市立大2年の佐藤優さん(20)は「一人一人に人生があったと想像した。戦争は残酷で悲しい」。この日、呉市内の戦跡も巡って日程を終えた。

 岡本さんは14年間、教育ネットワーク中国の広域型単位互換授業の一環として、集中講義を担当した。多い年は約80人が受講。コロナ禍までは爆心地から広島城、広島港(南区)まで約8キロを徒歩で移動した。原爆投下後、被災者が避難した動線をたどるためだ。

 また、岡本さんはゼミで15年間、学生を沖縄にも引率した。那覇市―糸満市間を50キロ歩き回り、壕などの沖縄戦の遺構を訪ねたり体験者から聞き取りをしたりした。

 「歩く速さで、命を見つめてほしい。机上で習うのとは違った、深い気付きを得る」。消極的だった学生も、「体感」を経た最終日には明らかに表情が変わるという。集中講義の終了後、参加学生はリポートに「来年以降も続けてほしい」と書いていた。何らかの形で岡本さんの思いが引き継がれてほしい。

(2021年9月20日朝刊掲載)

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