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連載・特集

緑地帯 真宗学寮あまり風 岡本法治 <4>

 毎年6月と10月の初め、真宗学寮(広島市西区)では会読(かいどく)と時期を同じくして「ご示談」がある。質問に対して和上や長老が答えることである。

 学寮の講堂には後ろに質問箱があり、そこに質問を書いて入れると、昼の法話の後に、聴衆の真ん中で問者が質問を読み、それに対して答えるという形で行われる。

 もともと仏教は対機説法といい、相手に応じて法を説くので、常に一対一の真剣勝負である。それが法座の形を採るようになって、話す側と聞く側に分かれ、途中で居眠りしないように、娯楽的な要素も加わるようになった。

 この娯楽的な要素を発展させたのが、落語や講談である。つまり落語も講談も、もとは説教の一部だったのである。

 その娯楽的要素を切り捨てて、本来の問いと答えに戻したのがご示談であろう。特に法義示談といって、信仰の深い悩みを吐露して、皆でその悩みを共有するところに素晴らしさがある。

 現代はスマートフォンで検索すれば、いろいろな疑問に答えてくれる時代である。ただそれは、自分の目とスマホの30センチの間で、自分に都合のよい情報を集め、自己中心の世界を創りかねない。それでは必ず行き詰まる。その時に「苦しい、助けて」と言える場所があればいい。

 釈尊が「人生は苦なり」と喝破したのは、その苦しみに真正面から向き合い、解決への道を示すものであった。苦悩の人生の全体がそのまま、覚(さと)りの世界に至る道程となる。生と死の全体をつつむ、ひとすじの道である。(真宗学寮教授=東広島市)

(2017年7月11日朝刊掲載)

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