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連載・特集

緑地帯 真宗学寮あまり風 岡本法治 <5>

 真宗学寮(広島市西区)では毎月初めの3日間に、「広済会(こうさいえ)」という法座が開かれる。

 広済は、経典「大無量寿経」に「広済生死流」とあり、生死の迷いに沈んでいる者を広く済(すく)うという意味である。学寮の初代学頭、高松和上の院号でもあり、その命日が7月2日なので、月命日を偲(しの)んで法座が開かれている。

 高松和上は温厚な方で、腹を立てることもなく、物に執着しない性質であったという。品行方正、学力優等の賞として本願寺の御門主から銀時計をいただいたが、行李(こうり)の中にしまってしまう。それでは何にもならないと、友人がねじを巻いて机の上に置いてくれたが、「絶えずチクチク音がしてやかましうて、勉強の邪魔になるばかりでサッパリつまりません」と、師の足利義山和上へ「受け取ってつかァさい」と持ってこられた。足利和上の娘、甲斐和里子さんが「高松悟峰和上語録」に寄せている逸話である。

 身に着ける物にもこだわらなかったので、法座に行っても講師と気付かれないことがあった。小柄な体格で、声も小さかった。しかし会読(かいどく)のときは、細々とした声でたった一言いうのが、恐ろしい鋭さを持っていた。お酒は好きで、よく召し上がっていたと聞く。

 高松和上の作として伝えられているのが、次の歌である。

 「声に姿はなけれども/声のまんまが仏なり。/仏は声のお六字と/姿をかえてわれに来る。」  仏さまは、仏壇やお寺の本堂におられるのではなく、いつも念仏となって私と一緒であるという、喜びの味わいである。(真宗学寮教授=東広島市)

(2017年7月12日朝刊掲載)

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