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連載・特集

緑地帯 真宗学寮あまり風 岡本法治 <7>

 真宗学寮が創建された西向寺(広島市中区)は、原爆ドームの東隣にある。爆心地のすぐそばで、被爆墓石も多い。ボランティアガイドの三登浩成氏によれば、境内にある被爆墓石は約80基、墓碑に刻まれた被爆の年の死亡者は100人に及ぶという。

 地表面で3千~4千度にもなる熱線が、ほぼ真上から3秒間浴びせられた。墓石の上部は石英が膨張して弾(はじ)けてざらざらとなり、側面はつるつるのままである。原爆の惨状を伝える証人である。

 1945(昭和20)年7月、現在の呉市音戸から檀家(だんか)が西向寺を訪ねてこられた。本尊や親鸞聖人のご絵像などの宝物を疎開させてほしいという。

 理由を尋ねると、阿弥陀さまが炎に包まれている夢を見た、聖徳太子が白いはちまきをして、お助けしなさいと言っていたという。

 本尊がないのはお寺ではないと断ったので帰られたが、引き返してきて、どうしても預からせてほしいと無理に持って行かれたのが21日であった。

 8月6日に原爆が落とされ、辺り一面灰燼(かいじん)に帰したが、宝物は疎開されていて無事であった。本尊阿弥陀如来像はいま西に向かい、世界の平和を照らしておられる。寺に伝わる逸話である。

 西向寺からは毎年8月5日夜、雅楽の演奏とともに原爆供養塔(中区)へ提灯(ちょうちん)行列が出ている。

 真宗学寮は、原爆投下の前に南観音(現西区)に移築されていたので、焼失はまぬがれた。寮は爆風で南に傾いたが、倒れなかったので被災者の救護所になり、現在も寮として使用されている。(真宗学寮教授=東広島市)

(2017年7月14日朝刊掲載)

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