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連載・特集

緑地帯 父をたずねて 田谷行平 <1>

 今年の個展(広島市中区のギャラリーたむら、21~29日)が間近となった。

 個展会場でよく「題名が詩的ですね、田谷さんのお父さんは詩人だったそうですね」と尋ねられる。父の友人からは「お父さんは印刷の世界を愛した広島一の印刷技術者じゃった」「よくボードレールの『人と海』の詩句を口ずさんでいた」と聞かされた。一人息子の私はファーザーコンプレックス。うなずいて小さく「そうらしいです」と答えるのみだ。

 今から50年余り前、父、田谷春夫は広島市内の病院の北窓の部屋で、1年近く起き伏していた。いつものように朝の回診注射を受けた後、一人看病に付き添う妻カツコに「ご苦労さんでした」と手を握られて、病と貧苦との長い闘いに終わりを告げた。祖母と妻と私を残して。1965年5月9日午前9時5分、54歳であった。

 私の運転する車に乗って、12年間を過ごした白島九軒町(中区)の小さな印刷所の自宅に帰った。青空が高く高く澄んだ日。親友で詩人の坂本ひさし氏は「空はどこまでも深いインジゴで古代さながらの美しい五月だ。今こそあなたは永遠の鳩になった。…」と別れの詩を贈った。

 その後、祖母は逝き、母も逝った。仲の良かった叔母姉妹も、プロレタリア詩人としての歩みを知る親しい友も、もういない。

 家族には寡黙であった父。戦争の殴打にも耐え、頑固な年輪を刻んだ。私の知らない時代を生きてきたあなたをたずねてみたい。(画家=広島市)

(2017年1月19日朝刊掲載)

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