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連載・特集

緑地帯 父をたずねて 田谷行平 <2>

 父、田谷春夫は、七太郎、ツノの間に白島(広島市中区)で生まれた。

 七太郎は口田(安佐北区)の庄屋、田谷忠左衛門の家に婿養子に入ったが、ハワイへ遊学するなど放蕩(ほうとう)癖があったためか、除籍されている。ハワイから帰国後、ツノと再婚して1男2女を授かった。

 長男である父は、尋常小学校を卒業後、家族を支えるために大工の見習いになった。しかし、本人によると「どうしても鉋(かんな)の刃をうまく研ぐことができんかった」ために解雇され、比治山町(南区)の印刷会社に就職した。

 世に「赤本」と呼ばれた広島発のベストセラーがある。旧海軍の看護特務大尉だった築田多吉が大正末から刊行した「家庭に於(お)ける実際的看護の秘訣(ひけつ)」で、表紙が真っ赤だったことからこの名が付いた。父は、「赤本の植字に関わって漢字や歴史を覚えた」と語っていた。身の回りにあふれる印刷物から、吸い取り紙のように知識を血肉化していったようだ。

 やがて広島屈指の印刷技術者として認められたというが、生活苦は続いた。「大晦日(みそか)」と題する父の詩を引く。

 <下駄一足買えさうもない給料だ、/ポケットに握りしめ/雑沓する街をウカウカ歩く。//書店(みせ)毎に、欲しき本漁り立ち読み/味気なく出る。(中略)払ひに足らぬ給料袋を出す、/老母(はは)の顔に深い皺を見逃すまい。(中略)一夜明ければ新春だ。/子らの枕辺に/黒い足袋/赤い足袋//貧乏も苦しい、/胸の中冷たい風が荒ぶ様に/だが、俺は握ったものを離さない。>(画家=広島市)

(2017年1月20日朝刊掲載)

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