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連載・特集

緑地帯 父をたずねて 田谷行平 <5>

 <年々に生きゆくことの難くなるは社会(よ)の悪なりと強くも得言はず>

 1936年ごろ、父が詠んだ歌だ。日本は中国との戦争に深入りしていった。父は41年6月、合田カツコと結婚した。この頃の詩「眠れぬ夜に」。

 <どうしても眠れない 二時を聞く/明日の仕事を思って泣けそうだ/雨も降って来た/腐ったとひから落ちる雨だれ/ポトンポトン頭にひびく/戦争がすむまで/とひはなほさぬと云った家主奴!(中略)何も何も考へない何も思ふまい/明日の仕事に眠りたいだけだ/しづかに息をかぞへる>

 太平洋戦争が始まった41年12月8日の深夜、広島ローマ字会の指導的立場にあった父は、坂本ひさし氏、山路商氏らと共に検挙された。開戦におごる権力は、ローマ字にさえおびえてもいた。祖母は「うちの息子が人様よりちょっと本をたくさん読んだだけで何をしたと言うの」と、特高の背中に浴びせたという。以前の検挙を詠んだものだが、父の短歌。

 <捻ぢ上げられし手に細紐の喰ひ込む痛さ堪えつつ昂然(こうぜん)と吹雪の日を拘引(ひか)れゆきし>

 42年1月、息子誕生。歌誌で号として使っていた「行平」の名を、独房の中から付けた。半年余り勾留され、釈放された。

 45年8月6日朝、当時3歳の私には何が起こったのか分かろうはずもない。白島(広島市中区)の家は一回転した。父も母も祖父も祖母も叔母も頭から血を流していた。私は奇跡的に無傷で、抱き合って河原に逃げた。夜空に棘(とげ)のような下弦の月が浮かんでいた。(画家=広島市)

(2017年1月25日朝刊掲載)

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