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連載・特集

緑地帯 父をたずねて 田谷行平 <7>

 父は1953年、職業補導所を退職。自宅を改造して印刷所を始める。中川秋一氏、岩村大治氏、前田文二氏ら、プロレタリア文化運動の旧友に支えられた。

 痰(たん)つぼを片手に活字を拾い、版を組み、輪転機を回す。バッタンバッタン。母は座って製本する。5坪ばかりの仕事場は私の癒やしの空間だった。

 版を組む余白のコマの並びが美しく、「きれいじゃね」と言うと、「見えん所が美しくないと弱いんじゃ」。中古の輪転機に紙を貼ったり剝がしたり、圧やインクの調整をする。妥協しない父だった。

 コーヒーが好きで、毎朝、自転車に痰つぼをくくり付け、なじみの喫茶店に出掛けた。画家の福井芳郎氏や浜崎左髪子氏、ピカソ画房の主人らと談笑する。仲間がいないときはベートーベンをかけてもらい、本を読む。ルイ・フィリップ、メリメ、チェーホフらの短編小説が好きだった。「肺活量がないから、大作には息切れするんよ」と言っていた。

 父は新鮮な詩に飢えていた。手記から。「枯れた情緒をもう一度若々しく躍動させてみたい。めしの問題もさることながら、やっぱし<うた>が懐かしい。貧乏で病人だから貧乏と病気を書く、できれば女のことも書く。詩がある種の感動を与えるということは単に音楽的であったり、思考的であったりするだけではいけない」

 枯れた花束を抱えた男。それが父のイメージとして刻まれている。私が高校3年になる頃、いつもの店でコーヒーを混ぜながら、「福井先生のところへ習いに行くか?」とぽつりと言った。(画家=広島市)

(2017年1月27日朝刊掲載)

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