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連載・特集

緑地帯 父をたずねて 田谷行平 <8>

 高校時代の私は、滝沢修や宇野重吉が出演した舞台「火山灰地」に感動し、役者になりたいとも思っていた。一人息子で、家は出られないと諦めていた。

 福井芳郎先生の「広島美術研究所」は、広電白島線の女学院前電停(中区)に近い民家の2階にあった。後に、幟町(同)の建築家上野勇さんのアトリエに転居。父の勧めで通うようになった私は、石膏(せっこう)像の木炭デッサンに明け暮れた。「田谷君、影が描けないと光は描けないんだよ」。なぜか夢中になった。

 父の病は重くなっていった。詩「病人吾(わ)れの怒るとき」を引く。

 <それはささいの事であったろう/カンシャクのしっぽを踏んづけられた/私は怒り心頭に発した//時刻(とき)は真夜中である/女房はしまったという顔で/扉に半身をよせて手をこまねいている/私の罵詈雑言が延々と始まった(中略)私は独りで昂奮し/ゴミ溜に投り込むような罵言を浴びせる(中略)私の怒りは空しく/氷の中で理性がもがいている/それから二時間後/私は見事な/喀血をした>

 死期が迫った頃の詩。

 <こん度生れるときは/鳩になりたい/脱獄死刑囚のことばを/数日前の新聞でよんだ//金網を張った小さな窓から/鳩の飛翔するさまは/自由への限りない渇望だろう//病院の北窓に八ケ月のおきふし/飛翔する鳩をながめて/生きたいとおもう>

 断片的に思い出される父との風景。今更のように父たちの生きた時代のつらさ、深刻さを思い、自由の重さを考えさせられる。(画家=広島市)=おわり

(2017年1月28日朝刊掲載)

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