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連載・特集

緑地帯 師の教え 築田哲雄 <1>

 ことしの4月、私が講師をしている広島仏教学院(広島市西区)に、会社を定年退職した一人の男性が入学してきた。

 「私はこれまで、仏教に無関心だった。信楽峻麿(たかまろ)先生の著書をたまたま目にし、こんなに真摯(しんし)に戦争責任と向かい合っているお坊さんがいたのかと驚いた」。そう話す男性は、どうしても先生に会って話が聞きたいと思ったが、すでに亡くなったと知り、弟子の一人である私を訪ねてきた。

 「先生の遺志を、教えを聞いたあなたはどう受け継ぎ、どう伝えていくのか」。私は、彼のそうした厳しい視線を感じながら授業を進めている。

 龍谷大学長を務められた信楽先生は、2年前の9月に88歳で亡くなり、三回忌をこの秋終えた。仏教学者としての先生の歩みを振り返ると、ひと味もふた味も違う浄土真宗の教学を切り開かれたことが際立つ。

 その背景には、先生を生み育てた安芸ならではの仏教領解(りょうげ)(教えを理解すること)だけでなく、自らも動員された戦争体験や、原爆で親族や多くの知友を失った経験があると考えられる。

 世間のうそや虚妄性を厳しく突く仏教が、アジア太平洋戦争中、釈尊や宗祖親鸞の教えを曲げてまで、こぞって戦争に協力した。その反省から、先生は仏教者の戦争責任に最期までこだわり続けた。教団の指導者や教学者は、なぜ自己の戦争責任を明確にして自己批判しないのかと。(ちくだ・てつお 広島仏教学院講師=広島市)

(2016年12月9日朝刊掲載)

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