×

連載・特集

緑地帯 師の教え 築田哲雄 <4>

 敗戦後、信楽峻麿先生は自分の仏教理解が頭だけの観念的なものであったことを思い知り、あらためて仏教を学ぶため京都に行って龍谷大に入学した。

 だが、先生の深い問題意識に応えてくれる師を見いだすことはできなかった。悶々(もんもん)と学生生活を送っていたある時、下宿の2階で夜更けまで「観無量寿経」を読んでいた。そこに説かれていた「王舎城の悲劇」が、当時の苦悩と重なって身に迫ってきたという。

 この話は、釈尊在世の頃、マガダ国の王子アジャセが父王を殺し母を幽閉して王位を奪うという事件を題材に説かれたとされる。アジャセが自らの罪におののき、釈尊の導きによって、罪深いわが身にかけられた如来の真実心に深くめざめるという物語である。

 先生は、継母との不和に苦しみ、父に強く反抗した。そうした自らの心の闇に触れ、「今日まで私はどれほど父を殺し、母を傷つけたことか。アジャセは今ここにいるとの思いに、急に熱い悔恨の涙がとどめなく流れた。同時に、口から念仏がほとばしり出た。これが阿弥陀仏とであった生涯における最初の宗教体験、廻心(えしん)である」と述懐した。

 廻心とは、それまで自分の外に対象として追い求めていた仏を、罪深きわがいのちのどん底に発見し、わが闇を闇と知らせた光の根源として仏にであうという宗教的体験を指す。客体的、実体的な存在として捉えようとする仏は、頭の中で観念的につくり上げた虚構にすぎず、そこでは仏とのであいを実感する「めざめ」体験を持つことはできない。(広島仏教学院講師=広島市)

(2016年12月14日朝刊掲載)

年別アーカイブ