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連載・特集

緑地帯 師の教え 築田哲雄 <5>

 信楽峻麿先生は、自身の命の奥底で仏にであうという廻心(えしん)体験を大事にされた。教えを頭だけでの観念や知識にとどめるのか、人生の基軸として自らの人格を形成する源にするのか。重大な事態に遭遇した時、その違いがはっきりするのである。

 アジア太平洋戦争の末期、多くの仏教学者や教団指導者が、戦争に何の疑問も持たず全面協力した中にあって、当時、大谷大にいた仏教学者、鈴木大拙氏の逸話が印象深い。

 戦地に出向く学生を前に、15分くらい目をつむったまま黙然と立ち続けた鈴木氏。重い口を開き、「諸君は戦場に行っても決して敵を殺してはなりません。また、あなたたちも、決して死んではなりません。たとえ捕虜になってもいいから、元気で生きて帰ってください」と述べ、その場を混乱させたそうだ。信楽先生はこの話を晩年によく話された。

 鈴木氏の宗教的信念により、世間の出来事がいかに正義、真実に見えて権威あるものであったとしても、それは「そらごと」「たわごと」と見抜けたのだろう。当時の日本の戦時体制を含め、それらを相対化する視座が、生き方の基本的な姿勢として鈴木氏にはできていたのではないか。

 戦争という具体的な歴史的事件をくぐることによって、その人の宗教的信念が単なる観念や知識にすぎないのか、それとも人格の根本にあって、いつもそこに戻り、そこから再出発できる、いのちの原点としてあるのか。われわれには、その真偽がいつも試されているのである。(広島仏教学院講師=広島市)

(2016年12月15日朝刊掲載)

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