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社説・コラム

[歩く 聞く 考える] 論説委員 森田裕美 兵士のトラウマ

目背けず引き受けなくては

 12年前に亡くなった祖父の書棚をこの春、訳あって片付けた。日に焼け、ほこりまみれになった蔵書の大半が旧日本軍や戦争に関する本だった。奥付を見ると、半世紀ほど前から2000年代までに刊行されたもので、ざっと500冊に上る。

 どれも書店で簡単に手に入るような小説やノンフィクションだ。手当たり次第買い込んでいたのか、冊数が少々異常に思えた。

 生前、戦争の本ばかり読む祖父を、私はいぶかしんでいた。学校で「絶対悪」と教わった戦争をまるで懐かしんでいるように見えたからだ。酒量が多いのも嫌だった。旧満州(中国東北部)に赴いた元兵士で、シベリア抑留の辛苦も味わった祖父の体験を、私はちゃんと聞いていない。「兵士」だった横顔を、遠ざける気持ちがあったからかもしれない。

 しかし最近になって思う。何かに取りつかれたように戦争本を買い求めたのも、酒量が多かったのも、戦争体験が祖父の心に何らかの影を落としていたためではなかったか。そうすることで自らの青年期に重なる戦争の全容を自分なりにつかみ、心を整理したかったのではないかと。

 そんなふうに考えるようになったのは先日、戦争の心的外傷(トラウマ)の歴史に詳しい中村江里・広島大大学院准教授をインタビューしたからである。中村さんは、日中戦争以降の旧日本軍兵士のトラウマについて、病床日誌などの記録や関係者の聞き取りを通じて研究している。

 戦争や従軍による暴力が原因で、心的外傷後ストレス障害(PTSD)などを発症する兵士は少なくない。ベトナム戦争やイラク戦争を体験した米兵のトラウマについては映画などの題材にもなり、広く知られていよう。アジア太平洋戦争に赴いた兵士たちも、心に癒えない傷を負ったはずだ。

 中村さんによれば、軍隊生活や戦場での苛烈な暴力が、精神疾患や障害となって現れた人は、日本でも相当数いたと考えられる。しかし、その実態は解明されていないという。

 兵士の多くは既に亡くなり、病床日誌など残された記録からたどれるのはごく一部であるためだ。敗戦時の軍による証拠隠滅で、多くの記録が失われている。さらに、疾患や障害だと診断されなかった人や、そもそも治療を受けられなかった人も多いとみられる。日本でトラウマやPTSDについての関心が高まったのは、1995年の阪神大震災以降のことである。

 何らかのトラウマを抱えていても、それに気付かないまま、あるいは周囲に気付かれないまま、口を閉ざして戦後を生きた元兵士はきっとたくさんいたに違いない。

 思えば、学校での平和教育でもメディアでも、被爆や空襲被害の体験証言に触れる機会は、今もそれなりにある。一方、加害者でもあった一人一人の兵士の体験や内面に、戦後に生まれた私たちは、どれだけ注意を払ってきただろう。

 「戦争の記憶というのはえてして、空腹とか、空襲とか、疎開とかに収斂(しゅうれん)しがち」。鹿野政直・早稲田大名誉教授が、著書「兵士であること」でそう指摘していた。その上で、一人一人表情を持つ身内や隣人である「兵士」の視点から、戦争を見つめる必要性を説く。

 思い出したのは、村上春樹さんの手記「猫を棄(す)てる」である。長年不仲だった父が戦時中、中国で捕虜殺害に関わった可能性に言及したものだ。2019年に月刊誌に寄せ、昨年単行本として刊行された。

 生前ほとんど戦争を語らなかったという父親(08年に90歳で死去)は、村上さんが小学生の頃、所属部隊が中国兵捕虜を斬首した様子を不意に、淡々と告白したという。

 父親が深く関与したのか、その様子を見ただけなのかは分からないままだが、村上さんは「父のトラウマ」を「息子であるぼくが部分的に継承した」とつづる。「目を背けたくなるようなことであれ、人はそれを自らの一部として引き受けなくてはならない。もしそうでなければ、歴史というものの意味がどこにあるだろう?」とも。

 村上さんの言葉に共鳴するものの、私に同じような覚悟があるかと問われると、全く自信がない。加害が顔を出すかもしれない身内の体験を、直視することはとても勇気が要ることだ。

 それでも祖父のトラウマに、想像力を働かせることから、始めてみたい。誰もが被害者でも加害者でもあった戦争の現実を、複眼的に記憶し、継承するために。

(2021年9月23日朝刊掲載)

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