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社説・コラム

『潮流』 南大東島の恩人

■特別論説委員 佐田尾信作

 旧知の沖縄タイムスの記者から「ご笑覧ください」と朝刊1面と社会面に書き分けられた記事が電子メールで届いた。武永健一郎という広島ゆかりの物故者が南海の孤島で今も土地の恩人として慕われている―。聞き覚えのあった名前だけに詳細なルポに驚く。

 武永氏は広島大大学院の出身でサンゴ礁地形の研究者。琉球大講師だった1971年に沖縄県南大東島で洞窟を調査中、水死した。結婚間もない32歳の若さだった。広島経済大名誉教授で琉球方言の研究者、生塩(おしお)睦子さんは妹である。

 筆者はかねて「島言葉(シマクゥトバ)の復権」をテーマに生塩さんに取材し、7年前にはフィールドの沖縄県伊江島にも同行した。生塩さんから武永氏の名前を聞き、半世紀を超える伊江島通いは兄への思いが大きいことを知る。

 沖縄タイムスによると、武永氏の調査は南大東島のサトウキビ産業の礎を築いたと語り継がれる。というのも、サンゴ礁隆起の島は一見、平たんでも土の下はでこぼこの石灰岩。知らずにサトウキビを植えて収穫すると、農機が壊れてしまう。地形が分かると畑や道路の整備が進んだ。武永氏が遭難した地には琉球石灰岩でできた碑が今は立つ。

 その人柄は、修道中で地理を習った元新聞記者中村正夫さんが昨年本紙に寄稿している。広大大学院から派遣された非常勤講師だったのか、学生服のまま教壇に立っていたという。教え方は熱心で「自分も地理の道へ進んだかもしれない」としのぶ級友もいた。

 武永氏は南大東島の地形を高い所から見たいと、製糖工場の50メートルの煙突に平気で登った。そこで目に焼き付けたものは何だったのだろう。沖縄は来年、復帰から50年を迎える。本土と沖縄の間に横たわる溝は今も深い。遠く外海を越えて学に殉じた一人の学者を知ることは救いである。

(2021年9月25日朝刊掲載)

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