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絵と言葉 戦争への怒り 四国五郎 廿日市で大規模回顧展

 峠三吉「原爆詩集」の表紙絵や絵本「おこりじぞう」の作画で知られ、絵と詩で反戦平和を訴えた四国五郎(1924~2014年)。その大規模な回顧展が、廿日市市のはつかいち美術ギャラリーで開かれている。戦争や原爆への怒りを表現し続けた軌跡を、90点余りの展示作で伝える。(福田彩乃)

 「四國五郎 平和へのメッセージ~シベリアからヒロシマへ」展。広島県椹梨村(現三原市)で生まれた四国は20歳で徴兵され、過酷なシベリア抑留を体験した。本展では1990年代に当時を思い出し、極寒の中で木を伐採したり、埋葬者を運んだりする捕虜の姿を描いた作品が並ぶ。

 四国は従軍中や抑留中、ひそかに「豆日記」を付けた。日々の出来事や思いを小さなページにびっしりと書き込み、軍靴の底や腹巻きの下に隠して帰国した。見つかればスパイ行為を疑われ、命も危うかっただろう。長男の四国光さん(65)=大阪府吹田市=は「この頃からすでに、自身の体験を記録し、表現したいという強い気持ちがあったのでは」と推察する。本展では豆日記とともに持ち帰った人物スケッチも展示する。

 48年に広島に戻った四国は最愛の弟の被爆死を知り、大きな衝撃を受ける。悲しみと怒りを胸に、広島で創作活動を続けていくことを決意。詩人峠三吉らと交流を深めた。50年ごろに手掛けた「辻詩」は、峠らと取り組んだ文化運動の一つ。ポスターのように絵と詩を組み合わせ、街角に張り出した。

 例えば「それはおんなの髪の焼けるにおい」と始まる詩には、被爆者を思わせる親子のシルエットを描き添え、反核を訴える。当時は連合国軍による占領下で、軍の批判は罪に問われる恐れもあった。四国の仲間たちは街中に「辻詩」を張っては、警察が近づくと急いで取り外した。多くは没収されるなどし、本展では現存する全8枚を出展する。

 会場には「辻詩」のように絵と文字を一体とした作品が少なくない。「弟への鎮魂歌(抄)」(71年)は、被爆死した弟の肖像画とともに弟への悲痛な思いを記す。新しい「辻詩」と呼ばれる85年の連作では、原爆で亡くなった少女を題材としたトルコの詩人の詩に絵を付け、原水爆禁止の署名を呼び掛けた。いずれも絵と言葉が合わさることで、見る者により鮮烈な印象を与える。

 光さんによると、四国は生前、「自分にとって表現は手段である」と言い切っていたという。反戦反核を訴えるため、「時々に応じて一番伝わる表現であること。それが最も重要だった」とみる。市民運動と連動した多彩な作品群は、既存の「芸術」の枠にとどまらない広がりをもつ。

 近年見つかった資料として、四国自身の従軍体験をつづった詩作の草稿ノートと清書原稿の一部も展示する。自らの戦争体験のみをテーマとした詩編は四国には珍しい。また従軍前に働いていた陸軍被服支廠(ししょう)で作成に携わった廠内誌「まこと」も並ぶ。当時10代だった四国は、表紙画や挿絵を手掛けた。

 光さんは「父の作品はいわば街中で遭遇する『戦争』。終戦から76年が経過する中、戦争への忌避感を思い起こさせる展覧会であってほしい」と願う。

 10月17日まで。月曜休館。

(2021年9月25日朝刊掲載)

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