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因島で捕虜生活 過酷 尾道赤レンガの会 英男性の手記 翻訳出版

 ジャワ島で日本軍に捕らわれ、尾道市因島にあった捕虜収容所で1945年7月28日の空襲に遭った英国人男性の手記を、元捕虜の関係者と交流を続ける尾道赤レンガの会(同市)が翻訳し出版した。3年近い収容所での生活や労働、爆撃から逃げた様子、広島への原爆投下に対する受け止めなどがつづられている。

 リバプール出身で、2013年に93歳で亡くなったテレンス・ケリーさんの「地獄船で広島へ」。ジャワ島から輸送船で4週間かけて因島に着いた。船内の衛生状態は悪く、下痢が続き亡くなる捕虜が相次ぎ、遺体は海に沈められたという。

 香港から搬送された捕虜を含め約200人が因島の収容所で生活。当時の日立造船因島工場で船の修理をし、ケリーさんは運搬工として、クレーンの線路修復や枕木運搬などをした。病をおして作業し、死亡した捕虜もいた。

 空襲は作業中、いきなりだった。「飛行機のエンジンの金切り音、機関銃のダダダッという音、機関砲のドシンという音。捕虜、日本人とも外に出ようと走った」と生々しく書く。

 98年には英国の派遣団の一員として広島を訪れた。原爆で街が破壊され、市民が殺された悲惨さを受け止める一方、「爆弾は疑いなく何百万人の命を救った」と自らの考えを述べ、「日本との和解は、捕虜となった者にとってはそれほど単純ではない」とつづる。

 翻訳は会のメンバー4人が分担した。ケリーさんの来日時に案内もした溝淵尚子さん(56)は「捕虜がいた事実を知り、外国人との相互理解につながれば」。まとめ役をした南沢満雄さん(79)は「若い人にも読んでもらい、戦争について公平に考えてもらうきっかけになってほしい」と話す。

 B5判、262ページ、2200円。インターネット通販のアマゾンで扱っている。(持田謙二)

(2021年9月27日朝刊掲載)

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