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ヒロシマ追った54枚 岸本さん撮影のオリジナル発見 被爆廃虚から復興初期まで

 広島の原爆被害と復興を追った岸本吉太さん(一九八九年に八十七歳で死去)撮影のオリジナル写真五十四枚が見つかった。一九四五年十一月から五〇年四月にかけ、中国配電(現中国電力)の屋上から一年ごとに市街地を東西南北に撮った写真もそろい、撮影年月や場所を記してアルバムにされていた。

 アルバムで保存していたのは、四五年当時に中国配電広島支店工務課係長だった須沢義人さん(八一年に七十五歳で死去)。横浜市に住む三女の山崎静美さん(65)が今夏、広島市佐伯区の父の旧宅を整理して見つけた。

 四五年十一月から撮影の写真は、爆心地六百八十メートルの配電屋上からの廃虚をはじめ、本店や千田町発電所、大手町変電所(いずれも中区)の壊滅状況などを鮮明にとらえる。

 岸本さんは広島で写真館を戦前から営み、中国配電の依頼でガラス乾板を使って撮影。広島支店が四六年三月にまとめた「原子爆弾に依る電気工作物の被害調査」の報告書に三十枚が使われている。

 乾板は中区の「きしもと写真館」が保存しているが、歳月による劣化でプリントにするのは難しいという。また、岸本さんが定点撮影した復興初期の市街地の写真は、複製が市の刊行物にも収録されてきたが、撮影年月は推測の部分があった。

 須沢さんは後に本店の送電課長を務め、岸本さんが撮り続けた写真も入手する立場にあったとみられる。アルバムは中国新聞を通じて市の原爆資料館に託され、写真は共同で電子保存化する。(編集委員・西本雅実)

(2008年9月28日朝刊掲載)

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