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社説・コラム

寄稿 「国境なき医師団」 西岡憲吾医師(65)=広島市安芸区

激しい空爆 傷口見て実感

ガザ 折り鶴配り平和を祈る

 国際医療援助団体「国境なき医師団」(MSF)の一員として活動している広島市安芸区の麻酔科医西岡憲吾さん(65)が、イスラエルによる空爆で多数の死傷者が出た直後のパレスチナ自治区ガザで医療援助活動に当たり、このほど広島に戻った。戦乱の傷痕が色濃く残るガザでは、空爆で重傷を負った人たちの治療に当たり、現地の人たちとの交流にも努めたという。活動の様子を西岡さんにリポートしてもらった。

 2年前にガザでの援助活動を経験していたが、5月の中ごろから、ガザとイスラエルが交戦状態となり、多数の犠牲者が出ているというニュースを聞き、当時の仲間たちのことを心配していた。そんな時にMSFから、ガザでの緊急援助活動を準備したいから参加しないか、という連絡があり、受けることにした。

 私が着任した時は、既にイスラエルと、ガザを統治するハマスの停戦が成立していたが、街のあちこちには爆撃で大きく壊れた建物が残り、私の宿舎の目と鼻の先にある、MSFの外来患者用の診療所も破壊された建物の修理をしていた。空爆が激しかった時期を過ごした医師によると、一時は宿舎から出ることもできず、国外脱出も検討されていたという。私が滞在中に小規模な空爆があったと報道されたが、現地の人たちは「デモンストレーションのようなものだ」と冷静な反応で、逆にそれ以前の空爆の激しさを想像させた。

 実質的に活動をしたのは6月6日から7月1日までで、主にはガザ中心街にあるMSFのオフィス、宿舎から20キロほど離れた病院を拠点にした。現地の外科医、麻酔看護師、手術室看護師たちとチームを組み、1日5件程度の手術で麻酔管理を担当した。

重いやけどの子も

 既に停戦状態で、新たな犠牲者に対する緊急手術はなかったが、爆弾によって足の筋肉が大きくえぐられて傷口がなかなかふさがらない男性患者もおり、空爆の激しさを実感させられた。また、イスラエルによるガザ封鎖に反対するデモに参加し、イスラエル兵に狙撃されて銃創を負った若者も多く、弾丸で骨が砕けてしまい治癒には繰り返し手術が必要となっている。

 その他、難民キャンプなどでの劣悪な環境が原因なのか、重いやけどを負った子どもに皮膚移植をすることもあり、厳しい状況をうかがわせた。その中で、両足のやけどで、何度も手術を受けた子どもが、立って歩行器で歩けるようになり、私に笑顔を向けてくれた時は、私もうれしくなった。

街は活気取り戻す

 一方で街は活気を取り戻しており、近くのビーチに出かけると多くの人が海水浴を楽しんでいたし、商店もにぎわっていて、市民はとりあえず訪れた平和を満喫しているようだった。新型コロナウイルスのワクチン接種が世界で最も進んでいるイスラエルに対して、ガザは接種が遅れて感染のまん延も言われていた。しかし、人々は空爆の恐怖に比べれば、コロナの恐怖など問題じゃない、といった感じでマスクもせずに街を歩いたり語り合ったりしていた。

 2年前に訪れた時、公園の屋台で紅茶などを売っている男性と顔見知りになった。今回も同じ場所で再会できて旧交を温めることができた。日本の友人に託された折り紙や自分で折った折り鶴を、手術を受けた患者さんや、街で出会った人たちに配って平和を祈る気持ちを伝えようと思った。ガザの一般市民は皆さん友好的で、ますます親しみが深まった。

 今回、帰国途中にエルサレムの旧市街地を訪れた。そこでは狭いエリアに嘆きの壁(ユダヤ教)、聖墳墓教会(キリスト教)、岩のドーム(イスラム教)という、三つの宗教の聖地が集まっていて、歴史的にはこの三つの宗教がこの地で共存していたことを示している。それがなぜ戦争になってしまうのか。結局、苦しむのは一般市民なのに。なぜ平和な世界が訪れないのか、という思いにとらわれた。

(2021年8月17日中国新聞セレクト掲載)

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