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社説・コラム

『想』 四國光(しこく・ひかる) 表現が創る「抑止力」

 詩人で画家であった父四國五郎が逝ってから7年がたった。その間に開催された展覧会は大小23回。全て依頼による開催であることがうれしい。制作されたTV特番は3本。父の詩は歌となり独唱されている。米国の大学では父の人生と作品を論じた英文サイトが作られ、複数の大学で教材となっている。

 父が残した表現が予想を超える広範囲で活用されている。常々自分の作品は単に鑑賞だけでなく、平和のために「使ってほしい」と言っていたが、その願いを超える形で発展している。

 父の表現は詰まるところ全てが戦争に収斂(しゅうれん)する。「私の話はいつも最後は戦争の話になる」が口癖だった。それほど戦争体験が重かった。「二度と戦争の道を歩んではいけない。表現で戦争を知り、実際の戦争に近づかないでほしい」との思いで生涯、メッセージとしての表現を作り続けた。父にとって作品は反戦反核を訴える手段であり、表現者としてその姿勢は生涯一貫していた。

 もうすぐ戦争体験者は不在となる。残された表現物こそが最後の砦(とりで)だ。記録は事実を正確に残すことが目的。それに対して、表現は文学であれ、絵であれ、映画であれ、作者の「これだけは伝えたい」という一念で描かれる。「伝える」ために表現技術を駆使する。だから感動する。感動が人を変え行動を促す。痛みが共有化される。戦争の非体験者でも二次的当事者となり得るということ。それが表現の持つ特別な力ではないか。その蓄積こそが戦争に対しての強力な「抑止力」となる。

 今後半永久的に戦争の記憶を継承するため、戦争を描いた表現を集めた場所を作ってはどうか。題して「ピース・アートミュージアム(平和美術館)」。平和を願って描かれた「ピースアート」に触れるためのプラットフォームだ。新たな継承の空間が、広島で実現してほしい。

 秋から廿日市で、広島では没後2回目となる総合展が開催される。通算で没後24回目の展覧会。ぜひ多くの方にお越しいただきたい。(四國五郎長男)

(2021年7月30日中国新聞セレクト掲載)

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