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連載・特集

『想』 福長弘志(ふくなが・ひろし) 廃虚の村

 皆さんはフランス中部にあるオラドゥール・シュル・グラーヌという廃虚の村をご存じでしょうか。12年前に何も知らずに訪れた私は、目前に現れた絶望的な光景に衝撃を受け、その後に描く絵の画風が以前とは全く変わってしまったのです。

 村を歩くと、焼け落ちた石とれんが造りの廃屋などが瓦礫(がれき)とともに連なり、さびた車や倒れたミシンが生活の跡を物語っています。村はナチス武装親衛隊によって、1日で廃虚と化した悲劇の舞台でした。

 第2次世界大戦末期の1944年6月10日午後、平和な日常を営んでいた小さな村で事件は起きました。武装したナチス親衛隊が突如なだれ込んで村を封鎖。無抵抗の村人たちは広場に集められ男性は六つの納屋に、女性と子どもは教会の中に詰め込まれたのです。そして、1発の銃声を合図に納屋の入り口から機関銃が一斉に火を噴き、逃げられないよう足を撃たれた男性たちは、折り重なって倒れました。まだ息がある人々の上にわらやしばを投げ込み、197人を納屋ごと焼却したのです。

 教会の中では、発煙弾でパニックになった人々へ容赦なく銃弾をあびせ、手りゅう弾やあらゆる可燃物を放り込んで火を放ちました。内部は炉のような地獄の炎に包まれ、阿鼻叫喚(あびきょうかん)の中で女性247人、子ども205人の命が奪われました。証拠隠滅のため村全体が劫火(ごうか)に覆われ、死者の身元がわからないほど凄惨(せいさん)な事件でした。

 戦後、首相となったド・ゴールが、この惨劇を後世に残すことを決め、村は当時のままの姿で保存されています。村の入り口には「SOUVIENS‐TOI」(忘れるな)と書かれた標識があり、生活も歴史も焼き払われたオラドゥール村の静止した時間を伝えているのです。

 非人道的な残虐行為の中を奇跡的に生き延びた生存者の証言が、焼失した村の廃虚に重なり、描いたことのないイメージが脳裏に浮かびました。

 私は今、真っ黒な「炭」をモチーフにして200号のキャンバスに向き合っています。(画家・一般社団法人二紀会委員)

(2021年3月4日中国新聞セレクト掲載)

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