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社説・コラム

『想』 大橋啓一(おおはし・けいいち) 広島の夢とシンボル

 戦前の広島を少しのぞいてみたい。

 広島市の被爆70周年記念事業として「猿猴橋の復元」が行われ、2016(平成28)年3月、橋は戦前の優雅な姿によみがえった。地元民の夢であった。橋は約430年前、毛利輝元公の時代に架けられ、その後何度も洪水被害に遭いながら1925(大正14)年、コンクリートの優雅な永久橋となった。当時ウィーンを中心に興った芸術運動であるセセッション様式の幾何学模様のデザインである。以後、戦争で姿を変えながら広島の歴史を見つめてきた。

 猿猴橋が永久橋となる10年前の15(同4)年には「広島県物産陳列館」が完成。のちに「産業奨励館」と改称された。猿猴橋と同じセセッション様式でいわば兄弟建築物である。当時は広島の美術、工芸、物産、玩具、発明などの展示会が行われ産業・文化の拠点であった。44(昭和19)年までの約30年間に行われた行事は約300回にのぼる。現在は平和のシンボル「原爆ドーム」となっている。

 もう一つのシンボル広島城は輝元公によって築かれ、のち福島、浅野氏へと引き継がれて城下町広島を発展させた。31(同6)年には天守閣が国宝に指定されたが、残念ながら45(同20)年8月6日、原子爆弾によって一瞬にして崩れ落ちた。その廃材は地元の製塩業者に払い下げられ、塩に変わって市民に配布されたという。58(同33)年、天守閣は広島復興大博覧会の開催に合わせ鉄筋コンクリートで再建された。

 だが今や築62年。改築の時期である。戦前国宝として威容を誇った広島城を広島のシンボルとして木造復元し、未来に残したいと私は思う。これを被爆80周年記念事業としてはどうだろうか。輝元公の「夢」と広島の歴史を形として残しては。できれば本丸御殿も復元し、一部を博物館や文学館にするもよし。これらが完成してこそ真の復興の証しになるのではないか。そして原爆犠牲者への供養にもなるのでは。西欧で復興とは、街を完全復元することだそうだ。(広島市文化協会副会長)

(2020年12月16日中国新聞セレクト掲載)

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