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社説・コラム

『想』 田中祐子(たなか・さちこ) 命の極み

 被爆者の生き残れるは少なくて九十才の我(われ)語り部をする

 被爆体験を詠んだ約430首を収めた短歌集「命の極み」を7月に出版しました。思い出すとあまりにつらく、出版をやめようと思った日が何度もあります。それでも書き上げたのは、こんな苦しみを強いるのが戦争と原爆なのだと、伝えたかったからです。

 75年前の「あの日」、16歳だった私は広島市平野町の自宅で原爆に遭いました。家の下敷きになりながら、何とか逃げ出して命を拾いました。

 夕方、ぺしゃんこのわが家に戻ると、叔父がいとこを抱いて来ています。「信子は死んだ。腐るけえ早う焼かんといけん」。壊れた家々から板きれを集めて並べ、焼き始めました。火の番をした私は「人間ってなかなか焼けないものだな」と思いながら、キャンプファイアでもするように燃やし続けました。

 炎の中で遺体がピクン、ピクンと何回も動きます。「生きとるよ」。叔父は「いや死んどる」と返します。そうか、と私は炎を見つめました。翌日の昼すぎ、お骨になりました。

 戦後、この体験が頭から離れず、幾度となく考え込みました。「かわいそう」と思うでもなく彼女を焼いた叔父と私は、鬼だったのではないか。信ちゃんは本当に死んでいたのか。生きていたのなら、私は殺人者ではないか―。今も夢でうなされます。「信ちゃん、ごめん、ごめん」。目を覚ますと、汗でびっしょり。この思いは死ぬまで続くでしょう。短歌集には彼女を焼いた時の情景も入れました。私の「おわび」です。

 実は昨年も、短歌集を出版しました。大きな反響があり、出版社から「もっと原爆について詠んでほしい」と持ち掛けられました。一度は断りましたが「被爆体験が風化してしまう」と説得され、思い直しました。

 生き延びたあの日々も、原爆の短歌を詠む日々も、生と死のはざまを歩くような思いで過ごしてきました。若い人が短歌集を手に取り、戦争で亡くなった多くの人たちを思ってくれることを願います。(歌人)

(2020年8月6日中国新聞セレクト掲載)

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