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社説・コラム

『想』 神田康秋(かんだ・やすあき) 言葉と共に生きる

 小学生の頃、よく夢をみた。原爆が落とされ、強烈な閃光(せんこう)と熱風が襲ってくる…。嫌だ! 嫌だ! 死にたくない。うなされ目が覚め電気をつける。そして感じる。僕は今「生きているんだ!」。心の中のこの言葉が、人生の支えとなっていく。

 中学1年の秋、東京五輪の開会式の実況に感動した。何回もテープで聞き返して覚え、まねて友達に拍手をもらった。映画「天地創造」冒頭のナレーションも格好いいと練習した。世界的歌手アンディー・ウィリアムスのショー番組にも憧れて、鏡の前でスターになりきった。実際、高校1年の夏、広島に来た本人と稚拙な英会話でインタビューを成功させた? 何でも願いは、かなうと信じていた。

 高校の恩師、中野訓兆先生の「広島弁を治すため、東京の大学に行け」との言葉を素直に聞いて上京。文化放送を訪ね、みのもんた氏に「弟子にしてください」と志願するも笑顔で断られ、代わりにサイン色紙と鉛筆をもらった。なぜか来てよかったと満足した。

 初めて彼女ができて、江戸情緒が残る柳橋辺りを歩いていると三味線の音が聞こえてくる。お世辞にも上手とはいえない。僕が「下手だなあ」とドヤ顔で話すと年上の彼女が一言、優しい声で「誰でも最初は下手なのよ」。料亭立ち並ぶ道に響く音色が二十歳の耳に残った。

 フジテレビを受験し落ちた。不合格の言葉には免疫力がついている自分。同時に運もついている自分もいる。系列局のテレビ新広島を紹介され合格を果たす。さてここからが人生最大の危機。とんでもなくトークが下手なのだ。持ち前の明るさで乗り越えられる世界ではない。研修ノートに書かれた助言の数々が心の底に刻まれている。

 「短所はいつか個性に変わる」「寝る前は楽しいことを考えろ」「失敗は誰でもする。失敗は人間を決めない。失敗の後が人間を決める」―。胸が熱くなる言葉だ。局アナを卒業し、司会や講演会で感動を伝えている。年齢を重ねても、なお生きているからこそ! 言葉と共に…(元テレビ新広島アナウンサー)

(2020年3月27日中国新聞セレクト掲載)

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