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『想』 鷲尾宏明(わしお・ひろあき) 平和と母子(ははこ)の森を‼

 大正時代の初期、私の母の母の実家が、広島市南区の比治山の東側麓にありました。地域の有力者だった当主が「義を見てせざるは勇なきなり」とばかりに、今の比治山トンネル辺りに県の許可と支援を当て込んで、トンネル工事を始めました。

 時は、日清、日露の戦勝に高揚し、富国強兵が叫ばれていた頃。宇品軍港の強化の方が急務で、民生用トンネルどころではないとされ、県の許可、支援は得られませんでした。結局、勇み足。工事を始めたその実家は破産し、工事代金の借金の保証人に名を連ねた親戚に多大な迷惑を掛けてしまいました。

 現在、立派なトンネルを通るたびに、私は母から聞いたこの一件を、心の中でクスクス笑いながら思い出します。しかし、人力の大八車から自動車の時代になっても、その必要性は変わらなかったわけで、街の発展には、人々の素朴な願いをくみ上げる政策が重要なことを学びました。

 広島市は比治山を「平和の丘」として整備を進めています。私は、その構想に「母子の森」構想を追加し、重ね合わせることを提案します。

 建て替えの必要性が指摘されている中区中央公園の子どもの図書館や文化科学館、プールなど子ども関連施設を全て比治山に移転集約し、母子の健康・医療の総合施設を設置してはどうでしょうか。母子の健全な成長は、平和な社会でこそかなうもので、整合性があります。

 私が小学生だった1950年ごろ、比治山は貴重な花見所でした。原爆で焼け野原になった眼下の街には家々が増え、復興が始まっていましたが、周囲の山はまだはげ山ばかりでした。

 比治山に集う母子が眺める広島の変化は、自らの成長の糧となり、生涯の思い出となります。山腹にある陸軍墓地や記念碑、木々が見せる四季の移ろいは、多くの子どもと母たちが、人生や先祖、そして街の歴史や自然に思いをはせるのに大いに資するでしょう。私はそのような比治山になってほしいと思います。(元アジア経済研究所主任調査研究員)

(2019年12月27日中国新聞セレクト掲載)

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